バックナンバー
- 【その7】茶室の空間/茶花
- 2007年11月01日アップ 2007:11:01:12:00:00
- 「花は野の花のように」という教えが利休の残した七則にあります。
- 山科なすそうめん
- 2007年11月01日アップ 2007:11:01:12:00:00
- 山科なすは、ヘタをとり、縦に二つに切って斜めに薄く切り、水にさらしてアク抜きをし、沸騰した湯で茹でる。
- 伏見とうがらしのベーコン巻き
- 2007年11月01日アップ 2007:11:01:12:00:00
- 伏見とうがらしはへたを取り、へたの付いた方を裂き、熱湯で茹でて種を取り除く。
- 【第1回】京都人と京町家
- 2007年11月01日アップ 2007:11:01:12:00:00
- 私は京都に生まれ育ちました。それだけで特別のイメージを持ってくれますので、おかげさまでどこへ行っても、善くも悪くも...
- 【第2回】京町家の誕生
- 2007年11月01日アップ 2007:11:01:12:00:00
- 京都の町家というと、なんとなく昔からずっとあったように漠然と思っていたので、いつごろから・・・
- 【第3回】京町家が先か?京都人が先か?
- 2007年11月01日アップ 2007:11:01:12:00:00
- 京都人が先か?私の子供のころは、おうちの前の通りで、子供達は日が暮れるまで遊び...
- 【第4回】店屋(まちや)と町家(まちや)
- 2007年11月01日アップ 2007:11:01:12:00:00
- 最近、とくに町家に関する特集記事をよく見かけますよね。
- 【第5回】京町家ともてなしの文化
- 2007年11月01日アップ 2007:11:01:12:00:00
- 京都には独特の「もてなしの文化」があります。もてなしといっても、かしこまったお客様に対するものだけではありません。
- 【第6回】床の文化と京町家
- 2007年11月01日アップ 2007:11:01:12:00:00
- この季節に、鴨川沿いや貴船に行くと川床(納涼床)が出ています。床から見る景色は河原にいるときよりずっと美しく、その川の流れは心を穏やかにしてくれます。
- 【第7回】京町家のデザイン (その1)格子と町並み
- 2007年11月01日アップ 2007:11:01:12:00:00
- これまで京町家と京都の人や生活、また通りとの関係性を、その内面的な部分についてお話してきました。「京の町家」連載もいよいよ後半に入ります。
- 【第8回】 京町家のデザイン (その2)路地【ろうじ】と辻子(図子)【ずし】
- 2007年11月01日アップ 2007:11:01:12:00:00
- かつての京都の町では『通り』に面して大店(おおだな)が店を構えていましたので、その碁盤の目状の通りに囲まれた中央には空白ができるわけです。
- 【第9回】 京町家のデザイン (その3)夏座敷・風と光
- 2007年11月01日アップ 2007:11:01:12:00:00
- 京都の夏は本当に暑いんです。そういえば最近降らなくなりましたが、私の子供の頃は、夏の3時から4時頃、毎日夕立ちでした。夕立ちが早いか、家人の水打ちが早いか、この清涼感はなんともいえない気持ち良さがあるんです。
- 【第10回】 現代生活と京町家『市中の山居』
- 2007年11月01日アップ 2007:11:01:12:00:00
- これまで、京の町家の歴史から機能、デザインまで、京都の暮らしを通じて、職住一体の生活から生まれたひとつの都市生活スタイルであったんだということをお話してきました。
- 【第11回】 京町家と地域コミュニティ
- 2007年11月01日アップ 2007:11:01:12:00:00
- 京都の都市構造が京町家と「通り」を介して成立してるんだということを、何度かお話しましたが、町並みが整ってきた江戸時代になると、より豊かな共同生活のために、
- 【第12回】 新しいまちづくりと京町家
- 2007年11月01日アップ 2007:11:01:12:00:00
- これからの京都のまちづくりにおいても、伝統的な京町家が象徴的な景観を形成しつづけることは変わらないでしょう。
- 【その1】茶の湯と京都
- 2007年11月01日アップ 2007:11:01:12:00:00
- 華道、茶道・・・というと、女性が年頃になると花嫁修行でみんな揃ってお行儀よく、強制的にさせられるものというかんじがしていて、あまのじゃくだった私は、じつは敬遠していたんですね。
- 花菜ご飯と花菜汁
- 2007年11月01日アップ 2007:11:01:12:00:00
- 米を洗い、酒を加えて水加減をし、昆布を入れて30分浸し、塩味をつけて火にかけ、煮立ったら昆布を除いて炊き上げる。
- 花菜のからし和え
- 2007年11月01日アップ 2007:11:01:12:00:00
- 花菜は太い軸をもぎ取って水で洗い、塩ゆでし、ゆで上がったら冷水にとる。冷水から引き上げ、水気をよく絞って3センチの長さに切る。
- 鹿ヶ谷かぼちゃのそぼろあんかけ
- 2007年11月01日アップ 2007:11:01:12:00:00
- かぼちゃは、下段を使い、3cm角位に切って面取りをする。平鍋に出し昆布を敷き、煮干しを入れ、その上にかぼちゃの皮を下にして並べ、かぼちゃの半分位まで水を注ぎ、火にかける。
- 賀茂なすの田楽
- 2007年11月01日アップ 2007:11:01:12:00:00
- 賀茂なすはへたの部分を取り、横半分に切り、安定をよくするため底の部分を少し切り取る。それを金串でついて油で揚げておく。
- 賀茂なすの海老そぼろあんかけ
- 2007年11月01日アップ 2007:11:01:12:00:00
- なすのヘタと底を切り、さらに横半分に切る。切り口の広い方を上にし、菜箸5本分ほどの穴を開けて塩水にしばらくつける
- 【その2】茶室にみる人々の暮らし
- 2007年11月01日アップ 2007:11:01:12:00:00
- 私の学生のころは、まだまだ思想的・哲学的な建築空間というのが、かっこいいと思われていた時代で、しかもポストモダンといわれる奇抜な欧米的なデザインの全盛期でしたから、
- 【その3】茶室へのいざない・露地
- 2007年11月01日アップ 2007:11:01:12:00:00
- 茶の湯は、堺や京の裕福な町衆が現在の形式にまで高めたものです。ところで、前回連載の「京の町家」シリーズのなかで、京の町家の細長い敷地の奥庭に、
- 【その4】茶室へのいざない・躙口(にじりぐち)
- 2007年11月01日アップ 2007:11:01:12:00:00
- 茶室には、躙口(にじりぐち)と呼ばれる壁面に設けられた客用の小さな出入口があります。大きさは高さが約66cm、幅が約63cmといいますから、心持ち縦長の長方形ということになります。
- くわいチップ
- 2007年11月01日アップ 2007:11:01:12:00:00
- くわいの皮を剥き、薄くスライスする。水にさらし、よく水切りをする。
- 万願寺とうがらしの素揚げ
- 2007年11月01日アップ 2007:11:01:12:00:00
- 万願寺とうがらしは穴を開けておく。油を160℃に熱し1を入れ、表面の色が変わったら取出し、器に盛り付け、素塩を振って仕上げる。
- 【その5】茶室の空間/畳と床の文化
- 2007年11月01日アップ 2007:11:01:12:00:00
- 茶室の空間の基準は四畳半とされていて、四畳半よりも広い部屋を広間、四畳半よりも狭い部屋は小間(コマ)と呼ばれ、四畳半は両方の機能を備えていると考えられているそうです。
- 万願寺とうがらしのハム詰め
- 2007年11月01日アップ 2007:11:01:12:00:00
- 調味料を合わせてタレを作っておく。万願寺とうがらしはヘタを取って、縦に切れ目を入れて種を取出す。
- 焼きなす
- 2007年11月01日アップ 2007:11:01:12:00:00
- すのヘタと皮目のところに切り目を入れ、カサのひらひらした部分を取る。縦にも数本切り目を入れ、強火で網焼きをする。
- 壬生菜の塩漬け
- 2007年11月01日アップ 2007:11:01:12:00:00
- 壬生菜は根株の方から5〜6株に切り離してよく洗い、まな板の上において、根元の部分に多目の塩を振りかけて、板ずりをする。
- 壬生菜と卵のハムサラダ
- 2007年11月01日アップ 2007:11:01:12:00:00
- 壬生菜は熱湯で、さっと茹で、3〜4センチの長さに切る。ゆで卵は白身と黄身を分け、白身はみじん切り、黄身は裏ごしして細かくする。
- みず菜のハリハリ鍋
- 2007年11月01日アップ 2007:11:01:12:00:00
- みず菜、油揚げ、スライスベーコンは食べやすい大きさに切る。しめじは石づきの部分を落とし、小分けする。
- みず菜のトン巻きフライ
- 2007年11月01日アップ 2007:11:01:12:00:00
- みず菜は洗って根元を切り落とし、輪ゴム等で束ねて塩茹でし、冷水に落として冷まし、水気をとる。
- みず菜のベーコンサラダ
- 2007年11月01日アップ 2007:11:01:12:00:00
- みず菜は洗って根元を切り落とし、3〜4センチの長さに切る。玉ねぎは薄切りにして水に良くさらし、オニオンスライスにする。
- 【その6】茶室の空間/床の間
- 2007年11月01日アップ 2007:11:01:12:00:00
- 床の間は、茶室にとってもっとも重要な空間といわれています。亭主はまず床(とこ)の掛物を考えることからはじまり、それを中心に他のお道具の取り合わせを決めていくのです。
- 九条ねぎの簡単グラタン
- 2007年11月01日アップ 2007:11:01:12:00:00
- 九条ねぎは水洗いして5cmの長さに切る。生椎茸は1枚を4切れ程度に、斜めにそぎ切りする。
- 九条ねぎのサラダ
- 2007年11月01日アップ 2007:11:01:12:00:00
- 九条ねぎを適当な長さに切り、フライパンでさっと炒める。(ゆでてもよい)人参を千切りにし、さっと湯通しをする。
- 九条ねぎのぬた
- 2007年11月01日アップ 2007:11:01:12:00:00
- ねぎを適当な大きさに切り、ゆでて、水気を切っておく。ねぎを適当な大きさに切り、ゆでて、水気を切っておく。
- 京たけのこの天ぷらとたらこ和え
- 2007年11月01日アップ 2007:11:01:12:00:00
- 京たけのこを5ミリ位の厚さに12枚切る。たけのこに小麦粉を薄くまぶし、天ぷらの衣をつけて揚げる。
- 伏見とうがらしと豚肉の味噌炒め
- 2007年11月01日アップ 2007:11:01:12:00:00
- 伏見とうがらしはへたを取り、縦に割って種を取り、食べやすい大きさに切る。豚バラ肉薄切りは3〜4cm幅に切り、玉ねぎは5mmの薄切りにする。
- 伏見とうがらしの京風味三種
- 2007年11月01日アップ 2007:11:01:12:00:00
- 鍋に油を熱し、伏見とうがらしを強火で炒める。すべての調味料とちりめんじゃこ、花かつおを入れ、10分位弱火で煮る。
- 平泉での最期
- 2007年11月01日アップ 2007:11:01:12:00:00
- 義経が追捕の網を潜り抜けて最後に辿り着いたのはやはり平泉であり、頼るのは藤原秀衛であった。
- 【その8】茶の道具/扱いにみる日本の精神(こころ)
- 2007年11月01日アップ 2007:11:01:12:00:00
- 私がお茶に興味を持ったきっかけというのは、まず私が無類の道具好きであることにはじまります。
- 【その10】茶道具/千家十職
- 2007年11月01日アップ 2007:11:01:12:00:00
- 利休の自害によって途絶えたかに見えた千家は、家康らの取りなしで秀吉の晩年に再興を許され、利休の次男・少庵が継ぎました。
- 【その9】茶の道具/茶杓(ちゃしゃく)と柄杓(ひしゃく)
- 2007年11月01日アップ 2007:11:01:12:00:00
- まだまだ不馴れな私がお茶をたてるときに、一番緊張するのは、炉から柄杓で水を汲むときと、お棗(なつめ)から茶杓で抹茶をすくう時なんですね。
- 【その11】茶席の演出/菓子と懐石
- 2007年11月01日アップ 2007:11:01:12:00:00
- 継続ということがとても苦手な私が、お茶のお稽古に毎週のように通える理由のひとつに、御菓子との出会いがあります。
- 【その12】茶の湯に学ぶ心
- 2007年11月01日アップ 2007:11:01:12:00:00
- 茶の世界は、まだまだ奥が深く、決して一言で表現することはできないと思いますが、どれをとっても、人の心を教える振舞として茶の世界をとらえいのでてもいはないかなと自分なりに考えるようになりました。
- はじめに
- 2007年11月01日アップ 2007:11:01:12:00:00
- 源義経という人物については、そのロマンと悲哀に満ちた数奇な生涯は、国民的な共感を伴いながら現在も語り継がれている。
- きのこづくし鍋
- 2007年11月01日アップ 2007:11:01:12:00:00
- 生椎茸、エリンギ、あわび茸はぬれ布巾で汚れをふきとります。(又はさっと水洗いします) 生椎茸は軸を切り落とし、生椎茸とあわび茸の傘の大きい物は2〜4つ切りにします。
- 海老芋の含め煮
- 2007年11月01日アップ 2007:11:01:12:00:00
- 海老芋は皮をむき、酢水(7カップの水に酢大さじ2)に30分から1時間ほど浸してから水を捨てます。海老芋に塩大さじ1(分量外)をふり、もんでぬめりを取り、水で洗い、水気を切り、固めに茹でます。
- 紫いものみぞれ酢和え
- 2007年11月01日アップ 2007:11:01:12:00:00
- 紫いもは皮を厚めにむいて、1.5cm角に切り、水に放し、アク抜きをします。
- 北あかりとマッシュルームのグラタン
- 2007年11月01日アップ 2007:11:01:12:00:00
- 北あかりは皮をむき、5mm厚さの半月切りにし、さっと水洗いをして、固めに茹で、塩少々をふります。
- 平清盛
- 2007年11月01日アップ 2007:11:01:12:00:00
- 平忠盛の嫡男であり、平家の棟梁。保元の乱と平治の乱で活躍して、源氏に勝利したのちは平家の勢力をを急激に拡大させていく。
- 出生から鞍馬山を経て、平泉に赴くまで
- 2007年11月01日アップ 2007:11:01:12:00:00
- 義経は、河内源氏の正統を継ぐ源義朝を父とし、九条院の雑仕女で絶世の美女といわれた常盤御前との間に、平治元年(1159)京都の地で誕生した。
- 宇治川の合戦から壇の浦の戦いまで
- 2007年11月01日アップ 2007:11:01:12:00:00
- 義経が平泉の藤原秀衛に迎え容れられたのがいつなのかは定かではないが、治承4年秋、義経が兄頼朝の挙兵に応ずるべく平泉を出立するとき、秀衛はあまり賛成ではなかったといわれている。
- 兄・頼朝との確執と平泉まで
- 2007年11月01日アップ 2007:11:01:12:00:00
- 安徳帝の身柄と宝剣は失ったものの、平家を完全に打倒し、平宗盛・清宗父子を捕虜として都へ凱旋した義経にたいして、後白河法皇を中心とする朝廷や都の人々は歓迎と賛嘆の声を惜しまなかった。
- 第5回 油小路の変・新撰組分裂と結束
- 2007年11月01日アップ 2007:11:01:12:00:00
- 油小路の変を時代背景や、エピソードを絡めてこのコーナーを作ってみました。
- 人物相関図
- 2007年11月01日アップ 2007:11:01:12:00:00
- イラスト化された人物をクリックすると、説明ページが表示されます。
- 常磐
- 2007年11月01日アップ 2007:11:01:12:00:00
- 義経の実母で、もとは九條院の近衛天皇の皇后藤原呈子の雑仕として皇后の外出に伴ったり身の回りの世話をしていた。
- 平 知盛
- 2007年11月01日アップ 2007:11:01:12:00:00
- 清盛の四男で、平家方の軍事面での総大将。以仁王・源頼政の挙兵を弟重衡と共に宇治で鎮圧した。
- 源 義経
- 2007年11月01日アップ 2007:11:01:12:00:00
- 平治元年(1159年)、源義朝と常盤との間に今若、乙若につづく常盤の第三子の末子として誕生し、牛若と名付けられた。
- 源 頼朝
- 2007年11月01日アップ 2007:11:01:12:00:00
- 鎌倉幕府初代将軍で、義経の異母兄。ともに義朝を父にもつ。母親は熱田神宮大宮司である藤原季範の娘。
- 北条政子
- 2007年11月01日アップ 2007:11:01:12:00:00
- 義経の異母兄、頼朝の妻で父は時政。伊豆に流刑中であった源頼朝と恋に落ちて結ばれた。
- 金売り吉次
- 2007年11月01日アップ 2007:11:01:12:00:00
- 奥州平泉の砂金商人で「金売り吉次」と呼ばれ、情報の収集屋であったともいわれている。
- うつぼ
- 2007年11月01日アップ 2007:11:01:12:00:00
- 村上元三氏原作の『源義経』に登場する架空の人物で、NHK大河ドラマにも登場。設定は鞍馬の里の農家の夫婦の養女で、義経の幼なじみ。
- 静 御前
- 2007年11月01日アップ 2007:11:01:12:00:00
- 義経の恋人で、生業は白拍子。舞の名手であった磯禅師に拾われて育てられた。
- 武蔵坊弁慶
- 2007年11月01日アップ 2007:11:01:12:00:00
- 義経の郎従。もともと比叡山の僧だったが寺を追われて京で刀狩をしていたが、清水観音境内で義経に敗れて、以来家来となり義経に忠誠を尽くす。
- 義経キャラクター診断
- 2007年11月01日アップ 2007:11:01:12:00:00
- あなたの本性が分かる!義経キャラクター診断
- 第1回 屯所跡に残る血と汗と涙 局中法度に散った男たち(1)
- 2007年11月01日アップ 2007:11:01:12:00:00
- 隊員の増加とともに屯所を移転、局中法度を定め、凄烈な粛清をかさね、鉄壁の組織を確立していった・・・
- 第1回 屯所跡に残る血と汗と涙 局中法度に散った男たち(2)
- 2007年11月01日アップ 2007:11:01:12:00:00
- 慶応三年十二月十六日に移駐してから二日後の十八日に、二条城に登城した近藤は帰途墨染あたりで高台寺党残党に銃撃され右肩を負傷。落馬もせず馬を疾駆させ奉行所に駈けもどった。
- 第2回 近藤・土方VS清河・芹沢・伊東
- 2007年11月01日アップ 2007:11:01:12:00:00
- 新撰組といえば局長の近藤勇と副長の土方歳三の名コンビが、幕末京都に大きな足跡を残したことで、今でもこれらの旧跡を訪れる旅人が絶えません。しかし…
- 第2回 近藤・土方VS清河・芹沢・伊東(1)
- 2007年11月01日アップ 2007:11:01:12:00:00
- 壬生・新徳禅寺で清川八郎との対峙~
- 第2回 近藤・土方VS清河・芹沢・伊東(2)
- 2007年11月01日アップ 2007:11:01:12:00:00
- 武州多摩郡上石原村の富農に生まれ、幕府直轄地の天領である多摩地方は、佐幕意識の強い土地柄であり、15歳で天然理心流の近藤周助に入門した彼は、26歳で天然理心流4代目をつぎ、近藤勇と名乗る。
- 第2回 近藤・土方VS清河・芹沢・伊東(3)
- 2007年11月01日アップ 2007:11:01:12:00:00
- 清河八郎は、庄内藩出羽の東田川郡清川村豪農の生まれで、幼児より俊才の誉れが高かった。17歳のとき、父の旧知で後に天誅組の総裁となる藤本鉄石が来訪し、影響を受けて江戸へ上る。
- 第3回 池田屋事変を実証する(1)古高俊太郎
- 2007年11月01日アップ 2007:11:01:12:00:00
- 「池田屋事件」の発端となった古高俊太郎の捕縛、拷問による自白が本当であったかどうかを検証し、あわせて新撰組の行動を追ってみました。
- 第4回 池田屋事変を実証する(2)池田屋への道
- 2007年11月01日アップ 2007:11:01:12:00:00
- 今回はその自白をもとに、新撰組の諜報網を活かし、「討幕派浪士が近く御所襲撃の密談をする」との情報を聞き出し、池田屋を探しあて、襲撃するまでを追います。
- 第4回 池田屋事変を実証する(2)池田屋への道(1)
- 2007年11月01日アップ 2007:11:01:12:00:00
- 文久3年2月に入洛した浪士組は3月に会津藩預かりとして壬生浪士組を結成。その直後から市中巡回を始めました。
- 第3回 池田屋事変を実証する(1)古高俊太郎(1)
- 2007年11月01日アップ 2007:11:01:12:00:00
- 古高俊太郎のことは、新撰組が書かれた本には必ず「池田屋事件」の中で登場します。 しかし、その人物像については深く触れられていません。小説になり難いのかもしれません。
- 第3回 池田屋事変を実証する(1)古高俊太郎(2)
- 2007年11月01日アップ 2007:11:01:12:00:00
- 木屋町通を流れる高瀬川は角倉了以とその子与一が作りました。それ以前は鴨川の流路を利用して水運を行っていました。
- 第3回 池田屋事変を実証する(1)古高俊太郎(3)
- 2007年11月01日アップ 2007:11:01:12:00:00
- 証拠書類を突きつけられ自白を強要されたことは間違いないと思います。その混乱の中で、中川宮・会津候襲撃の自白の可能性は否定できませんが、『烈風を期とすべし・・』という文言には疑問があります。
- 第4回 池田屋事変を実証する(2)池田屋への道(2)
- 2007年11月01日アップ 2007:11:01:12:00:00
- 前回、古高俊太郎の自白の可能性について述べましたが、古高の自白が事実であれば近藤以下土方隊も含めて全員で池田屋へ直接切り込んでいたことになるでしょう。
- 第4回 池田屋事変を実証する(2)池田屋への道(3)
- 2007年11月01日アップ 2007:11:01:12:00:00
- 新撰組が「過激派浪士の密謀」についての書簡を会津藩に届けたのは何時頃であったのでしょうか。
- 第4回 池田屋事変を実証する(2)池田屋への道(4)
- 2007年11月01日アップ 2007:11:01:12:00:00
- 池田屋事件の発端となった過激派浪士の企てですが、そもそも桂は過激な計画には反対の立場であったといわれています。
- 新撰組・京の足跡 1777日
- 2007年11月01日アップ 2007:11:01:12:00:00
- 新撰組が京都に残した1777日間の足跡を追ってみたい。
- 第5回 油小路の変・新撰組分裂と結束(1)
- 2007年11月01日アップ 2007:11:01:12:00:00
- 慶応元年には、新撰組は大所帯となり京都での治安維持の中心となる。しかし本来が寄せ集めの集団であり、局中法度(明文ないが)によって彼らに一糸乱れぬ行動を求めた。
- 第5回 油小路の変・新撰組分裂と結束(2)
- 2007年11月01日アップ 2007:11:01:12:00:00
- 伊東甲子太郎は、江戸深川で北辰一刀流の道場を開いていたが、元治元年の夏に元門弟の藤堂平助が訪問、新撰組入隊への勧誘を受け、同志8名(異説あり)が11月初旬に京都へ着いた。
- 第6回 新撰組と鳥羽・伏見の戦い
- 2007年11月01日アップ 2007:11:01:12:00:00
- 最終回となる今回は、徳川幕府による大政奉還後の新撰組の動向とその終焉までを追います。
- 第6回 新撰組と鳥羽・伏見の戦い(1)
- 2007年11月01日アップ 2007:11:01:12:00:00
- 12月11日、幕府勢力とともに一旦大坂城に赴いた新撰組は、13日、会津藩の命令を受けて伏見方面の治安警備という名目で伏見奉行所に駐屯することになった。
- 第6回 新撰組と鳥羽・伏見の戦い(2)
- 2007年11月01日アップ 2007:11:01:12:00:00
- この戦いで、新撰組古参隊士の井上源三郎が戦死している。明治に入り、宇治川の流れを付け替えて淀競馬場建設の際、ここに「戊辰役両軍激戦地」という慰霊碑が建てられ現在も香華の絶える事がないという。
- 特別企画:対談「新撰組」を語る その1
- 2007年11月01日アップ 2007:11:01:12:00:00
- DigiStyle京都のシリーズ企画で情報を提供していただいている「京都史跡ガイドボランティア協会」の会長・松吉武雄氏に新撰組のウラ話など、とっておきのお話をお伺いしました。
- 特別企画:対談「新撰組」を語る その2
- 2007年11月01日アップ 2007:11:01:12:00:00
- DigiStyle京都のシリーズ企画で情報を提供していただいている「京都史跡ガイドボランティア協会」の会長・松吉武雄氏に新撰組のウラ話など、とっておきのお話をお伺いしました。
- 京都の歴史を知る・学ぶ
- 2007年11月01日アップ 2007:11:01:11:59:00
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- 京都の文化を知る・学ぶ
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- 京都のお料理レシピ
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