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背景絵 京の町家
【第2回】京町家の誕生

 京都の町家というと、なんとなく昔からずっとあったように漠然と思っていたので、いつごろから・・・なんて、私はあまり意識をしたことはありませんでした。ただ、それらしき原形みたいなものは、平安時代初期(10~12C前半)に登場していて、人々の暮らしとともに変化しながら近代の様式にまで発達したようです。現在市内で見かける町家は江戸時代後期から明治・大正にかけて再建されたものがほとんどです。ここで、その当時の平安京の町並みから、町家の誕生にまつわるエピソードを想像してみたいと思います。
 このころの通りというのは、通行部分だけでなく、側溝、築地、側溝と築地の間の空地まで含められていました。たとえば、幅12メートルの小路の場合、実際に通行できるのは、そのうちの3/5ほどしかなかったと言われています。こんなふうに通りと言っても、今とはちょっと意味あいが違っていて、広場みたいなものだったみたいです。そんな風に目的が曖昧であった「通り」の存在が、後世の町家の形成に大きく関わったのではないかなと思います。一般庶民の場合だと、ひとつのブロック(一町)を1/32に分割したものが基準として与えられていました。それでも、間口が5丈(15メートル)、奥行き10丈(30メートル)、面積がおよそ140坪もあったなんて聞くと、それはもう今の京都の町で考えるとかなりの大きさで、うらやましい限りですね。けれども、当時はまだ、農村の住居とはそれほど差はなかったみたいです。まだ、今のようには通りに面していなくて、宅地の中央に草葺きの「小屋」と呼ばれていた住居を構えていました。田畑や井戸等もその敷地内にそれぞれ持っていたようです。

 平安京といえば、私は源氏物語のような華やかなイメージを抱いていたのですが、それは貴族の邸宅内だけのことで、町並みはそれとはほど遠い農村風景だったようです。とはいえ、すでに共同生活用の長屋もあったそうで、この形式が後の町家にも引き継がれたと考えられています。

 その後、祇園の御霊会などの祭りが行われるようになり、京都の町そのものが祭礼の舞台として人々の関心を集めるようになります。さて、当時の京都の人々はどのようにして祭りを見物したのでしょうか?そこで登場するのが「桟敷」とよばれるものです。今風にいうと、「テラス」とか「オープンカフェ」みたいなかんじでしょうか。もちろん、貴族たちは御殿のような豪華絢爛の桟敷を用意しました。庶民は、通りの側溝と築地の間の何もない中間的な空地に住居からはり出して桟敷を建てました。これって、今でも祇園祭や葵祭、大文字焼きのときに、沿道のオフィスやマンションのベランダから眺めるのとよく似た感じではないかなと思います。
 本来は街区と道路と碁盤の目状に定められていた都市計画を、その境界を壊して桟敷を建てたわけですから、現在でいえば、完全な違法建築です。ところが、赤信号みんなで渡れば・・・という心理でしようか。皆がそろってやりだしたものですから、たちまち初期の平安京のシステムは崩壊してしまったのではないかなと思います。やがて、築地はなくなり、お祭り限定だった桟敷は日常的に利用され、なかには築地を壊して住居を建ててしまう横暴者もでてきたことでしょう。そうなれば、我も我もと、また皆そろって通りの通路部分だけを残して住居を建ててせり出してきたはずです。そのうちに、道路に面して住居を建てるというのが主流となり、現在に残ったということではないでしょうか。

 さて、ここで注目すべきは、彼らが、好き勝手にやっているのではなく、「町」というルールにもとづいて、隣家と軒並みを揃えるということをしています。こんなところにも、なんとなく「出ずるを制する」京都人らしさがでているような気がします。やがて自分たちの身だしなみを整えるのと同じように、機能に応じて外界(通り)に面した住居の佇まいを整えはじめ、それが、今に見る町家の姿へと洗練されていったのでしょうね。
 このように、京町家の誕生から進化の過程でも、人々の心理が影響したのではないかと思うと、とてもおもしろいですね。もともと、京都というのは“新しいもの好き”なところがあるんです。「伝統」=「古いもの」と考えがちなのですが、新しいものが生まれない限り、それは伝統ではないと私は考えています。昭和に入って、私たちの生活は近代化し、ほとんどの「京町家」がその進化を急に止めてしまったのはいうまでもありません。

 
京都芸術デザイン専門学校専任講師 冨永りょう
背景絵

都をどりで頭の中までピンク色!

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