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京の茶室



【その11】茶席の演出/菓子と懐石


継続ということがとても苦手な私が、お茶のお稽古に毎週のように通える理由のひとつに、御菓子との出会いがあります。日頃は、ダイエットを心に決めた女心として控えているのですが、茶室においては、お菓子はお茶をより美味しくいただくためのものという大義名分がありますので、自分自身に屁理屈のような言い訳を聞かせて、楽しんでいます。


普通はお茶を飲む前にいただくもので、濃茶(こいちゃ)のときは主菓子(おもがし・生菓子)を、薄茶(うすちゃ)のときは干菓子(ひがし)、落雁(らくがん)や有平糖(ありへいとう)をいただくのが普通ですが、薄茶だけの場合は両方出されることもあるようです。 御菓子には主菓子(おもがし)といって、薯蕷饅頭(じょうようまんじゅう)、きんとん、餅菓子などのほか、季節により花見団子や月見団子、粽(ちまき)、水無月(みなづき)などの生のお菓子を使い、干菓子(ひがし)には、落雁、煎餅(せんべい)、有平糖などの乾いたお菓子を使います。


和菓子 和菓子は目と口と耳であじわうものといわれますが、耳で味わうのはどういうことかといいますと、ひとつひとつにつけられた銘(名前)のことなんですね。それは耳で味わうに充分な深い意味を持った銘がひとつひとつにつけられていて、色や形、味と見事に融合しています。もちろんそれ自身でもおいしいのですが、お茶をたてるようになって、発見したことがあります。それは、御菓子をいただいた後のほんのりとした甘さが口に広がり、その色や形の残像が目にうつり、美しい響きを持った銘が耳に残るままに、お茶をいただくと、本当に美味しいのですよね。昔から、和菓子は好きだったのですが、このような味わいは最近になって知ったものでとても新鮮でした。


また、懐石とは、もともと禅宗の修行のなかで、寒さと飢えをしのぐために、座禅に入る前、適当な石を拾ってあたためて懐炉がわりに懐にいれたことからでているもので、量より質を求めた一汁三菜を基本とします。亭主は、その日の客の趣味教養、茶味、年齢、出身地まで配慮して、喜んでいただけるように自らおもてなしをするのです。もちろん、客の顔ぶれ、席入りの時間、季節によって料理は変化しますが、決して贅沢ではなく、如何に美しく、美味しくいただいていただけるかということに配る心を大事にしたものなのです。


茶室には亭主と客しかいませんが、その空間の演出には、亭主のおもてなしの心と、それを支えるために多くの職人が腕を競い合います。京都の町には今でも多くの名店があります。四季折々の銘菓や懐石は、わたしたちの心を一瞬にして和ませてくれるものです。茶室というのは建築的には結果として様式が後世になって決められていますが、じつは形ではなく、それぞれの人の思いがゆるやかに組み合わさった生きた容れ物であって、そこに入る人のおもてなしの心次第で如何様にも変化するのです。現代人が利便性の代わりに失った何かがそこにはあるような気がします。


京都芸術デザイン専門学校専任講師 冨永りょう
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