TOP  > 京都を知る・学ぶ  > 新撰組と京都  > 第3回 池田屋事変を実証する(1)古高俊太郎(3)


  1. 古高俊太郎の人物像と生い立ち   5. 古高俊太郎の自白について
           
  2. 勤皇家古高俊太郎に影響を与えた人々   6. 六角獄舎の惨殺
           
  3. 幕末の木屋町      
           
  4. 古高俊太郎逮捕に至る経過    



 証拠書類を突きつけられ自白を強要されたことは間違いないと思います。その混乱の中で、中川宮・会津候襲撃の自白の可能性は否定できませんが、『烈風を期とすべし・・』という文言には疑問があります。
 それを検証しますと、この時期の京都に強風が吹いたり、大火になった例は過去にありません。祇園祭の前後は梅雨時で大火になり難く、過去の京の大火は11月から4月頃に発生しています。但し、7月に発生した「禁門の変」の大火ですが、これは梅雨明けで晴天が続くのと、会薩軍や長州軍の戦争であることから数十箇所での付け火が、大火につながった例外の一つです。
 京都に長く生活すれば、このような無謀な計画は考えられません。おそらく何らかの計画はあっても、この時期での計画では無かったことも考えられることから、入洛間もない新撰組が諸藩出兵の口実のために作りあげた自白書であると想像しますが如何ですか。



古高拷問跡



 自白したとの可能性ある会合場所を結論づけて行動しているには、どこに根拠があったのかを考察してみました。
 押収した書類の中に、5日の会合を示す回状があったものと思います。但し、回状には場所等が記されていなかったということが考えられます。それは新撰組の当日の行動を見ればわかります。直接に会合場所に踏み込んでいないことと、少ない隊士を二手に分けて行動していることです。このことは、俊太郎の自白の中味にも影響しています。 
 もし自白していれば新撰組は直接、池田屋へ踏み込んでいたでしょう。また、現在でも四国屋が特定できていないことは、俊太郎がニセ情報を流した可能性もあると思います。



 会津を含めた諸藩の出動の遅れを考えてみます。新撰組が古高の自白書を示し、会津藩に出動要請を行ったが、出動要請の中味(不逞浪士の企ての真偽及び会合場所等の不明確さ)を吟味した結果、公の出動を発令するには証拠が不十分で、それなりの傍証を必要としたのではないでしょうか。
 新撰組が踏み込んだ初期にはまだ包囲体制が出来ていなかったように思われます。その理由は、脱出者が見られる事と、池田屋事件を知らされた杉山松助が長州藩邸から飛び出して桂救出に向かった時に容易に辿り着けたこと等から考えられます。新撰組が踏み込んだ後に包囲網が敷かれた可能性もあります。



 古高俊太郎が捕縛されて長州藩や勤皇方浪士が恐れたことは、長州藩と有栖川宮との関係や8・18以降の長州藩復権への活動等が発覚することだったと思われます。
 桂は後に、池田屋へ赴いたが時間が早かったため、対馬藩邸で時間を過ごし、池田屋会合に遅れたと弁解しているが、本当は行くつもりはなく配下の者を送り込んでいたものと
思われます。慎重な桂がこのような計画に荷担するはずがありません。池田屋で多くの同志が殺されたり捕縛されたことへの言い訳に後年に書き残したものと考えられます。
 また、池田屋の変で助かり、明治政府の高官を務めた何人かは、助かったこと、即ち逃げたことに引け目を感じ、当時のことを多く語っていません。
   

 捕縛された古高俊太郎は「禁門の変」のドサクサに紛れ、元治元年7月20日に六角獄舎において、他の収容者32名(池田屋事件の捕縛者、生野の変の平野次郎、足利将軍木像梟首事件の長尾郁三郎、大和蜂起の古東領左衛門等)とともに惨殺されました。
 処刑は20日の午後2時頃から始まり、3時間にわたって行われました。理由は、兵火の混乱に紛れ牢破りを企てようとしたとしています。さすがの会津容保も、大いに驚き町奉行所役人等を叱ったとされています。
 この惨殺に新撰組が数名、関わったとされることから、何か胡散臭いものを感じるのは私だけでしょうか。
 以上で述べたほか、当時の自白調書をみても断片的で、重要な事といえば中川宮と会津容保の襲撃を匂わせているだけで期日のども定まらず、具体的な計画も述べていません。また、誰が主犯かもあいまいで述べていません。
 この様なことから、古高俊太郎はこの問題には深く関与していなかったのではないかと思います。古くからの勤皇の志士であり、思想的にも迷いの無い古高俊太郎が、彼の履歴から考えても拷問によって自白したとは到底考えられないというのが私の考えです。

最後に、古高俊太郎の墓は次の3ヶ所にあります。

●滋賀県守山市古高町 福寿院境内
  古高一族の墓
●京都市上京区出水通千本西入る
  福勝寺 
●京都市東山区高台寺霊山墓地

 
   
古高家墓(守山市)
古高俊太郎墓
(福勝寺・出水千本)

 

   
 
 
 

京都史跡ガイドボランティア協会提供

 
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