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京の茶室



【その10】茶道具/千家十職


千家十職 利休の自害によって途絶えたかに見えた千家は、家康らの取りなしで秀吉の晩年に再興を許され、利休の次男・少庵が継ぎました。その後、少庵没後に跡をついだ宗旦は、宮仕えをせず、在野の茶匠として侘び茶の精神を民間に普及させたことで知られていますが、のちに千家十職と呼ばれるものの基礎を作ったのも彼なのです。最初は宗旦自身の好みにあった茶道具を作らせるのが目的であったそうですが、しだいに歴代家元の指導によってその数を増やし、現行の十職となりました。


千家十職とは、三千家向けを主に茶道具の製作を家業とする十家の総称のことで、楽焼き(楽家)、一閑張り細工師(飛来家)、表具師(奥村家)、袋師(土田家)、金物師(中川家)、釜師(大西家)、塗師(中村家)、竹細工師(黒田家)、陶器師(永楽家)、指物師(駒沢家)です。


中川家や楽家は利休の道具を作り、他家も千家との交流は300─400年に及ぶといわれています。茶道具は茶室という伝統的空間で、点前という型をもって扱われるだけに、作る上で制約も多く、日頃からの家元との親交や家業の世襲によって育まれた伝統の蓄積で制約に対処できるというのが、十職の特色なんだそうです。塗師の中村家には、利休好みの漆器の形や寸法が木型や帳面で伝わっているそうです。


当代家元の好みを織り込む「好み物」作りは、なかでも十職の重要な仕事で、ご意向の物を作るには、常のお付き合いを通して宗匠のことが分かっていないといけないわけで、十職の当主は毎月はじめ、家元に出仕することが四百年来のならわしになっていて、毎月一日、表千家不審庵で家元の茶席に集うのだそうです。そこで出された道具や何気ない会話から、あうんの呼吸で意をくみ、技術、美、そして何よりもお茶をよりおいしくいただけるものを製作すると言うのですから、それはもう言葉にならない互いの呼吸があるのでしょうね。それが400年続くなんて、文化や伝統というものが、人の存在を越えて歴史となるんですね。


千家十職 京都という町はよそもんは入りにくいと言われますが、このようなお家に代々伝わる関係を飛び越えることは、まず難しいのが定説なのは本当のことだと思います。これは、決して意地悪ではなくて、歴史を大切にしてきた京都の人の想いなんですね。東京や他の都市に住む方々と話をしていると、その差は歴然とあって、つねに京都の人たちは歴史的な背景を持って何ごとも語っているといわれます。京都で産まれ育つと自然に身につけるものなのでしょうね。


また、起業家が突出したり、ノーベル賞受賞者が京大に多いのも、歴史の重圧があればこそ、新しい歴史を創るという意欲をかりたてるという理由があるのだと思います。京都の町は、歴史を創造する町なのです。いかにして、先人達が歴史をつくってきたのか、もう一度振り返って、自分なりに、その歴史を継続するか、新しい歴史を創りあげるか、考えるのも京都に住まう私達が後世に歴史を伝えるひとつの役割かもしれません。


京都芸術デザイン専門学校専任講師 冨永りょう
無題ドキュメント