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京の茶室



【その6】茶室の空間/床の間


床の間 床の間は、茶室にとってもっとも重要な空間といわれています。亭主はまず床(とこ)の掛物を考えることからはじまり、それを中心に他のお道具の取り合わせを決めていくのです。茶会の会記(いわゆるその日のメニューのようなものでしょう)にも、まず最初に掛物が書かれているのです。この床の間というのは茶室に限らず、日本人にとって何か特別な精神的な思いのある空間のような気がします。


私が、小学生のころ、昭和30年代の典型的な初期モダンの床の間のない建売住宅であった我が家を、とうとう建て替えるという時に、ただひとつ父が欲しがったのは床の間のある和室でした。ところが、なにせ姉と私は自分達の部屋がほしい、大きなお風呂が欲しい、明るくて広いリビングがほしいとせがむわけですから、結局、父の夢は見事に崩れ、屋根裏部屋が父の書斎に、上半分は押し入れで下半分が床の間(?)という、中途半端な妥協案が採用されました。もちろん、外観は当時はやりのスペインコロニアル風のワインレッドの瓦葺きですから(笑)、今思えば、とてつもない和洋折衷の住宅でした。


そんなわずかな床の間ではあったのですが、それはそれは父はうれしそうに、毎日そこだけは、腰をかがめて自分でふき掃除しては、いろんなものを並べて眺めていたのを覚えています。しかし、所詮間口が一間、高さが90cmしかない押し入れの下の床の間です。いつのまにか物置きとなり、ほこりをかぶる運命にありました。それから、わずか3年くらいでしょうか、急に改築すると父が言い出しました。そして、とうとう掛物をかけることができる(!)父の念願の床の間のある和室が突如我が家の中心に表れたのです。


こんな床の間をめぐる我が家のエピソードを振り返って、最近父にどうしてあんなにすぐに改築したのか聞いてみました。すると、どうしても床の間が欲しかったんだと父は照れくさそうにいいました。今ではもう床の間にはいろんなものが並んでいて、孫の写真まで飾ってありますから、ほとんど宝物置場なのですが、はじめて床の間の前に座った父はとても立派に見えたものでした。私は建築設計の仕事に就くようになったのも、こんなことがきっかけであったのかもしれません。


このように、一見無駄な空間のように思われるのですが、床の間は私達にとって、心をうつす大事な空間なのですね。本来は、床にかける掛物は、人が夜休むときには、巻き上げて床の端に置いておき、朝起きたらすがすがしい新鮮な気持ちで掛けるものなのです。床の間は、花鳥風月の美しい季節感がただよう箱庭のようなもの。自分で好きな掛物をかけ、季節の花を生け、床の前で静かにそれらと対峙した瞬間、あなたの心にはどんな思いが流れるのでしょうか。


千利休は、掛物の長さに応じて床の寸法を切ったといわれています。様々な環境や情報に流されがちな私達現代人にとって、いまこそ、床の間を愛でる精神が必要なのかもしれません。


京都芸術デザイン専門学校専任講師 冨永りょう
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