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坂本龍馬

坂本龍馬

天保6年(1835年)~慶応3年(1867年)

土佐藩郷士坂本八平次男、土佐高知城下本丁生。28才のとき脱藩、江戸にて勝海舟門下となる。元治元年(1864年)6月以前、龍馬(30歳)京都でお龍(24歳)と出会う。慶応2年(1866年)1月京都で龍馬立会いのもと薩長同盟成立。23日長府藩三吉慎蔵と共に伏見寺田屋で深夜伏見奉行所配下に襲撃されるがお龍の注進、三吉の奮闘により手傷を負いながらも脱出し、濠川沿いの材木納屋に潜伏、翌朝伏見薩摩屋敷に匿われる。西郷隆盛の勧めによりお龍と共に霧島へ湯治にゆく(これが日本で最初の新婚旅行といわれている)。慶応3年(1867年)大政奉還成立一ヶ月後の11月15日京都河原町蛸薬師醤油商近江屋新助方で市中見廻組佐々木只三郎他の奇襲を受け落命。享年33才。




お龍

天保12年(1841年)~明治39年(1906年)

青蓮院宮家の内外科医楢崎将作長女。現京都市中京区生。
龍馬と内祝言後伏見の船宿寺田屋女将お登勢の元に預けられる。慶応2年(1866年)1月深夜寺田屋にて龍馬、長府藩三吉慎蔵が幕吏の襲撃を受けたとき入浴中のお龍が通報、龍馬は手傷を負いながらも脱出。お龍は伏見薩摩屋敷に救援を求めに走った。3月鹿児島へ向かい約三ヶ月滞在。その後長崎、下関と移り、慶応3年(1867年)12月2日三吉慎蔵により悲報が届けられた。明治8年(1875年)西村松兵衛と再婚、横須賀に住む。ツルと改名(35才)。晩年は「龍馬の未亡人」として知られる。享年66才。



寺田屋登勢

文政12年(1829年)~明治10年(1877年)

近江浜大津出身。18才のとき伏見の船宿六代目寺田屋伊助に嫁す。伊助没後も寺田屋の女将として差配する。龍馬は薩摩藩の紹介により寺田屋を定宿とするようになった。寺田屋で龍馬が襲われた後も龍馬はお登勢にお龍の母や妹の世話をするように依頼、お登勢はそれに応じ生活費を送り援助する。龍馬没後土佐に在住していたお龍が明治2年京都に戻ってきた時にも寺田屋で世話をした。享年49才。




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