
深草の「赤」にちなんだスポット巡る散歩コースをご紹介します。赤いといえば伏見稲荷大社の千本鳥居が思い出されますが、今回はそれ以外の「赤」を回ります。
2025年のNHK大河ドラマ「べらぼう」は主として江戸が舞台ですが、このドラマと少しだけ関係がある場所が深草にあるのをご存知ですか?「べらぼう」では桐谷健太さんが演じている大田南畝(おおたなんぽ)の歌碑があるんです。南畝は、蜀山人(しょくさんじん)や四方赤良(よものあから)などのペンネームを使い分けていました。そこで、まずは四方赤良の「赤」。
茶わんこの井戸
京阪の龍谷大前深草駅から東へ歩いて5分ほどのところに、「茶わんこの井戸」があります。
昔、京の茶人が茶の湯に使う水を宇治橋へ汲みに行かせていましたが、あるとき使いの者が帰路の深草でこぼしてしまい、近くの井戸で汲んで帰ったところ、宇治川の水より美味しいと褒められたという伝説のある井戸です。その傍らに、藤原俊成の和歌「夕されば野辺の秋風身にしみて うづら鳴くなり深草の里」の歌碑があります。
俊成らが編纂した『千載和歌集』に載っている歌です。この歌碑に寄り添うように、小ぶりの歌碑があり、「ひとつとりふたつとりては焼いて食う うづらなくなる深草の里」とあります。
これが大田南畝の狂歌、俊成の歌のパロディーです。元歌とパロディーの歌碑が並んでいる光景は、珍しいのではないでしょうか。
藤原俊成の和歌(左)と大田南畝の狂歌(右)
南畝は天明3(1783)年正月に四方赤良名義で、『千載和歌集』をもじった『万載狂歌集』を朱楽菅江(あけらかんこう)と共に編集・出版しています。
この年の夏、浅間山が噴火して飢饉が起こり、乱れた世を立て直す寛政の改革で出版が厳しく統制されるようになります。武士であった南畝はその後、大坂の銅座に1年間赴任しました。享和2(1802)年春、任を終えて江戸へ帰る途中で深草を通り、紀行文『壬戌紀行』(じんじゅつきこう)に、「深草の墨染桜はいづこと問へば、こゝなりといふに…(中略)…道のべに深草焼の土偶人(つちにんぎょう)をひさぐ家多し」などと記しています。
「ひとつとり…」の狂歌はそれより後の文化元(1804)年の作で、南畝の自薦集『蜀山百首』に載っています。
茶わんこの井戸から緩い坂を少し上ったところに石峰寺があります。大田南畝と同時代を生きた絵師、伊藤若冲ゆかりのお寺です。入り口から続く石段の先に、赤い山門が見えてきます。
晩年この寺に隠遁した若冲が、自らデザインして石工に彫らせた五百羅漢が有名です。五百羅漢のある裏山の入り口に、もう1つ赤門があります。
石峰寺の山門
南畝は『壬戌紀行』の旅で石峰寺を訪れ、五百羅漢に感動して次のように書いています。
「…百丈山石峰寺あり(黄檗宗)。自然(じねん)の石のかたちをもて羅漢のさまをうつし、少しづゝ彫琢を加ふ。山のあひだ道のくまぐまにたてるさま、髣髴(ほうふつ)として仏体をそなふ。涅槃(ねはん)の像などことにあやし。米三翁といへる碑もみゆ。」
若冲は寛政12(1800)年秋に亡くなり、石峰寺境内に墓が建てられました。南畝が深草を訪れたのは、若冲没後1年半ほどの頃ということになります。「米三翁といへる碑」が気になります。「斗米菴」(とべいあん)あるいは「米斗翁」と号した若冲のことでしょうか。石峰寺の墓石には「斗米菴若冲居士墓」と刻まれています。
石峰寺の次に、南畝は次のように綴ります。
「宝塔寺の前より稲荷山にいりて、東福寺に出る道を牧童にとふ。」
これはちょっと変です。大坂方面から墨染寺を通り、石峰寺まで来れば、宝塔寺は通り過ぎているはずです。南畝の記憶違いか、文学上の演出なのかは、わかりません。
ここに出てくる宝塔寺の仁王門も赤です。赤い大提灯が下がり、仁王像も真っ赤です。門に書かれた説明によれば、宝永8(1711)年建立とのことなので、南畝もこの門を見たかもしれません。
宝塔寺の仁王門
仁王像
蛇足ですが、赤が神聖な色と考えられてきた歴史は縄文時代にまで遡ります。神社やお寺の建物が赤く塗られるのは、聖域を示すと共に、塗料に使われる弁柄(べんがら)の主成分である酸化鉄や、朱の主成分である硫化水銀に防腐・防虫の効果があるためともいわれています。
さて、東福寺へ行ってしまった南畝とは別れて、もう少し南に歩いていると、目の端に赤い色がちらっと映りました。瑞光寺(元政庵)の庭にサルスベリが咲いていました。
サルスベリが咲く瑞光寺
瑞光寺の開祖元政上人は、若冲より100年くらい前の人。彦根藩井伊家と親戚筋の武士でしたが、出家して深草に草庵を結びました。親孝行で知られ、深草うちわを発明したともいわれています。本堂は、お寺の建物としては珍しい茅葺屋根。秋には境内の木々が真っ赤に染まる、隠れた紅葉スポットになっています。
瑞光寺の紅葉(2022年)
境内の横を走るJR奈良線の線路をくぐったところに、元政上人の墓があります。そこから西に歩いて直違橋通を南に曲がり、しばらく行くと、立派な赤レンガ建築があります。聖母女学院本館、旧陸軍第16師団司令部の建物ですが、今回はそこまで行かずに、第二軍道を西へ、鴨川運河に架かる師団橋を渡り、運河に沿って京阪藤森駅まで…。
おっと、お土産を買うのを忘れるところでした。師団橋を渡って少し直進し、赤い看板のところを曲がると、「キムチ屋さん」と書いた小さな店があります。
キムチ専門店 樹樹さん
「赤」にちなんだ散歩のお土産は、やっぱり赤でいきましょう。気さくなおばちゃんと少しおしゃべりしてから、白菜キムチを買いました。辛すぎることなく、ご飯がすすむ味わいでした。
白菜キムチ(350g、500円)
【参考】
大田南畝『壬戌紀行』は、国立国会図書館デジタルコレクションで読むことができます。
(岸上質軒編『紀行文集』続々〔1901年〕所収)
深草についての記述部分→https://dl.ndl.go.jp/pid/1882662/1/332
店舗・施設名 | 石峰寺 |
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住所 | 京都市伏見区深草石峰寺山町26 |
電話番号 | 075-641-0792 |
交通 | 京阪電車「龍谷大前深草」駅下車、徒歩約5分 JR奈良線「稲荷」駅下車、徒歩約10分 |
ホームページ | https://www.sekihoji.com/ |
Writerたけばしんじ
Writerたけばしんじ
深草地域の文化「保存・継承・創造」プロジェクト実行委員、伏見チンチン電車の会代表、ステンシル作家、その他得体の知れぬ肩書が複数。
あまり人に気付かれることのない、実生活には無関係な重箱の隅を、穿った視点で追究してみたいと思います。
1987年日本大学文理学部史学科卒業。本業は教育関係。