おでかけ

2026.05.14

こんにちは、京都市伏見区深草在住の地域ライター 山神義昭です。

 

私の家の近所に京都教育大学附属高等学校があります。墨染通(大和街道)から高校の南門までの距離は170~180メートルありますが、その中間あたりに陸軍第十六師団輜重(しちょう)部隊遺跡のプレートがあり、そこには次のように書かれています。(一部抜粋)

 

「作家の故・水上勉は1944年(昭和19年)に ここに入隊し、馬以下に扱われた兵士たちの苦しみを描いた『兵卒の鬣(たてがみ)』『墨染』などの名作を発表しており、この周辺は日本の戦争文学の史跡でもあります」

 

水上勉(みずかみつとむ)氏は、1944年(昭和19年)5月初めに福井県から応召し、旧日本陸軍 第十六師団の輜重部隊に配属されます。第十六師団は伏見区深草に拠点があり、輜重部隊は墨染、現在の京都教育大学付属高校の場所にありました。輜重部隊とは、弾薬や食料などを補給する任務を持った部隊で、多くの軍馬が使われていました。水上氏はここの教育班に配属され、約1か月半、軍馬の世話や訓練を担当しました。以下、『兵卒の鬣』の主人公が5月5日に入隊する場面の引用です。

 

「その夜、伯父の家に泊めてもらい、翌朝早目に八条から京都駅まで歩き、市電に乗って墨染町の四十三部隊営門前へ行った。ここは師団街道のまん中あたりで、当時は輜重隊兵舎は道路に面しており、からたちのまばらに生えた土塀を持ち、営門は三十メートルほど入った地点にあった。五日の朝、この営門前の広場と、師団街道は、人でごったがえしていた。九時丁度に合図があって、私たちは営門を入った」

Photo1:師団街道から営門があったと思われる場所を臨む。奥に見えるのは京都教育大学附属高校の東門です

 

兵士の宿舎や軍馬の厩舎は墨染にありましたが、訓練は深草練兵場で行われました。深草練兵場は、現在の深草西浦町を中心として、北は第一軍道(府道201号)、南は第三軍道(大岩街道)、東は師団街道で囲まれた、広大な敷地でした。水上氏は、担当する軍馬を引き連れて、墨染の輜重部隊と深草練兵場を往復することがあったようです。

輜重部隊と深草練兵場は師団街道で結ばれているので、おそらく師団街道を行き来していたのだと思います。以下、『墨染』からの引用です。

 

「深草練兵場を往還して、墨染町の家並みを見たのは、これらの新馬をつれてたまに草を食(は)ませに出るときだった」

 

Photo2:輜重部隊の営門があったと思われる場所から、師団街道を北(深草練兵場のあった方向)に臨む

 

Photo3:JCL西浦中公園内にある深草西浦町碑に刻まれた町史。深草練兵場があったことが刻まれています

 

行軍実習で墨染の輜重部隊から宇治まで行くこともあったようです。以下、『兵卒の鬣』からの抜粋です。営門から師団街道を少しだけ南下し、墨染通を小栗栖方面(東の方向)へ向かったのではないかと推測します。

 

「先頭に見習士官、つづいて青田中尉、つづいて准尉、軍曹、伍長、兵長、上等兵などがみな騎馬姿で、車輛を牽く兵卒と馬を監視するように、前後両側からはさんで営門へ向かった。私たちは駄馬隊の中ほどにあった。輓馬のあとにつづいて営門を出た。・・・うす明るい町へ出ると、すぐ坂を登った。細い石ころ道だった。小栗栖へ向かう道らしかった」

 

Photo4:師団街道と墨染通の交差点から小栗栖方向(東の方向)に墨染通を臨む

 

Photo 1~Photo 4の撮影場所は次の写真に示すとおりです。

Photo 1~Photo 4の撮影場所(赤字の番号の位置)。Google Maps の地図データをもとに筆者加工

 

同じ地図で、当時の輜重部隊、深草練兵場、師団街道の位置を示します。

当時の輜重部隊と深草練兵場の位置関係。Google Maps の地図データをもとに筆者加工

 

二つの作品、特に『兵卒の鬣』では、当時の輜重部隊の兵士(輜重輸卒。のちに特務兵と呼ばれた)の過酷な生活が生々しく描かれています。この作品が発表されたのは1972年9月ですが、その後、水上氏が、この作品について書いた文章(『「兵卒の鬣」のこと』)に次のような箇所があります。

 

「昭和十九年の五月に、私は召集令状をうけて、京都の伏見四十三部隊に入った。輜重輸卒だった。約一ヶ月半の訓練をうけたが、どういうわけか除隊命令が降りて六月に帰郷した。中には、前線へ出発して、馬と共に輸送船の沈没で死んだ者もいるのに幸運をひろった。しかし、馬や兵卒と一しょにくらした訓練期間の思い出はなつかしくて、むし暑い梅雨期がくると、思い出してばかりいた」

 

「よく、「軍隊のときは・・・」などと、野戦の思い出など、自慢げにはなす人もいるものだが、私たち輜重輸卒には、自慢になるような話は何一つない。朝から晩まで馬糞にまみれて、尻ばかり掃除していた毎日は、はなしにならない」

 

「戦争文学の中で、航空兵や歩兵や、斥候やはいつも華々しく描かれてきた。また、捕虜の生活も名作の材料となった。しかし、輜重輸卒だけは、文学上からも陽をあてられていなかった。そのことが果たせたかどうかは知らないけれど、書き終えて私は、私の人生の宿題を一つ果たした気持がかすかにした」

 

水上氏たちが過酷な兵隊生活を送っていた場所では、今、高校生たちが青春を謳歌しています。そのコントラストにも心を動かされました。

 

参考文献

・水上勉『兵卒の鬣』(『水上勉作品集 日本の戦争』(新日本出版社、2008年2月)に所収)

・水上勉『「兵卒の鬣」のこと』(同上)

・水上勉『墨染』(新編 水上勉全集 第三巻(中央公論社(現:中央公論新社)、1996年1月)に所収)

Information
店舗・施設名 JCL西浦中公園
住所 京都市伏見区深草西浦町3丁目30−30

Writer山神義昭

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Writer山神義昭

趣味は散歩、読書、「孤独のマイク」(ひとりカラオケ)。深草に引っ越してきてから6年。居心地のよさに満足しつつもコロナに阻まれた時間を取り戻すべく面白そうなイベントには積極的に参加していきたい。そして深草のよさをもっと見つけて発信していけたらと考えています。

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