
こんにちは、京都市伏見区深草在住の地域ライター 山神義昭です。
私は毎月、藤森神社にお参りしています。
藤森神社
藤森神社
毎回、本殿だけでなく本殿の周囲に祀られている境内社にもお参りしています。その中に、特に説明板も見当たらない横長のお社が本殿の真後ろの位置にありました。
七宮社
出雲大社の十九社のように一年のうちの特定の期間にだけ神様がお越しになるのかな、そうだとしたら今はいらっしゃるのかしらと思いつつ半信半疑でお参りしていました。
あるとき神職の方がおられたので、このお社についてお尋ねしたところ、七宮社(ななみやしゃ)と言って七つの神社が祀られているお社とのことでした。お社に近づいてよく見ると確かに七つに区切られており、そのひとつひとつに七つの神社(向かって左側から天満宮社、熊野神社、厳島神社、住吉神社、諏訪神社、廣田神社、吉野神社(蔵王堂))の名前が書かれた神額が掲げられていました。
七宮社 各神社の様子
今回は、この七宮社についてもっと知りたいと思い、あらためて藤森神社に取材しました。
七宮社は豊臣秀吉の伏見城築城に伴い、その地にあった七つの神社が藤森神社に遷されたものです。この築城が第一の伏見城(指月伏見城。現在の伏見区桃山町泰長老あたり。1596年完成)のときか、第二の伏見城(木幡山伏見城。桃山丘陵に築城。1597年完成)のときかは定かではありません。
いずれにしても、このあたりの神社を藤森神社に遷したと言われているわけですが、最初にこの話を知ったときは藤森神社までは少し距離があるのではと感じていました。しかし藤森神社の氏子区域の南端が市立桃山中学校あたりまであることを伺って、この地域の人々にとっても藤森神社は近しい存在だったのではないかと推測しました。
また七つの神社は、元の場所にあったときから一か所に集まっていたのか、それとも散在していたのかについても分かっていません。私はその地域に散在していたのではないかと思います。理由は、七つの神社が最初、藤森神社の境内に独立した七つのお社として造営されているからです。江戸時代に刊行された『都名所図会』の藤森神社を描いた部分にもその姿が見られます。
都名所図会 藤森社
都名所図会 藤森社 一部拡大
その後、現在のようにひとつの建物を七つに区切った形になったものと思われます。七宮社の呼称もそのときからではないでしょうか。
七つのお社、そしてそのお社に参拝してきた人々がたどってきた時の流れに想いを馳せながらこれからもお参りしたいと思います。来年は午(うま)年。藤森神社は古くから「馬の守護神」としても広く信仰されており、駈馬神事が行われるなど馬と縁の深い神社です。来年は、例年以上ににぎわうことでしょう。
最後に、取材にご協力頂いた藤森神社 権禰宜辻賢一様※に感謝申し上げます。
(※「辻」は、本来の表記は一点しんにょう)
店舗・施設名 | 藤森神社 |
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住所 | 京都市伏見区深草鳥居崎町609 |
交通 | JR「藤森駅」下車 徒歩5分 京阪「墨染駅」下車 徒歩7分 |
ホームページ | https://fujinomorijinjya.or.jp/ |
Writer山神義昭
Writer山神義昭
趣味は散歩、読書、「孤独のマイク」(ひとりカラオケ)。深草に引っ越してきてから6年。居心地のよさに満足しつつもコロナに阻まれた時間を取り戻すべく面白そうなイベントには積極的に参加していきたい。そして深草のよさをもっと見つけて発信していけたらと考えています。