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2026年7月から、京都アニメーション制作のTVアニメ「二十世紀電氣目録-ユーレカ・エヴリカ-」が放映されます。
結城弘(ゆうきひろ)さんの小説『二十世紀電氣目録』が原作。大津のお寺の子で新京極の仏具店で働く15歳の坂本喜八(さかもときはち)と、伏見の蔵元の娘で伏見稲荷境内のお塚「阿久火(あくび)大明神」を厚く信仰する、同じく15歳の百川稲子(ももかわいなこ)を中心に、明治40(1907)年の京都と滋賀を主な舞台として描かれた物語です。
明治40年は、深草はまだ京都市に含まれず、伏見区もありませんでした。京都府紀伊郡深草村であり、南に伏見町が隣接していました。小説では、稲子が伏見稲荷から家に帰る途中、藤森・墨染・撞木(しゅもく)町を通ったことが書かれているので、実家の百川酒造は伏見町にあったと考えられます。なお、アニメ版で描かれている百川酒造の建物は、現在の松本酒造によく似ています。
小説の舞台を訪ねて、稲荷山へ行きました。
物語では、喜八と稲子が出会うのが、阿久火大明神です。阿久火大明神は実在しませんが、荒神峰の見晴台あたりに設定されているようです。荒神峰へは、お山一周コースの出発点になっている四ツ辻から田中社神蹟に続く石段を登ります。稲荷大社の本殿から四ツ辻までは、千本鳥居を抜けていくルートは混雑するので、北側の産場稲荷社の前から八島ヶ池に沿って進む坂道を行きました。
ここでいきなり、ちょっと脱線。四ツ辻へ向かう道に「毎日稲荷大神・広告稲荷大神」と書かれた鳥居がありました。毎日稲荷大神は毎日新聞社が明治40年に建てたものだそうです。おお、明治40年!社を囲む玉垣にも興味津々。
「毎日稲荷大神・広告稲荷大神」の鳥居
十合(そごう)呉服店・洋服店はそごう百貨店の前身(現在は、そごう・西武)。白木屋呉服店はのちの東急百貨店。ライオンインキの福井正治郎商店は、現在のライオン事務機器。
小説では、阿久火大明神から勧進橋を渡る京電の電車、歩兵第三十八連隊の兵営、七条の停車場が一望できると書かれています。荒神峰から見ると、ビルの隙間に勧進橋を確認することができました。歩兵第三十八連隊は現在、京都教育大学になっています。また七条停車場は初代京都駅で、現在よりやや北側にありました。今は木々が生い茂っているためか、京都教育大学と京都駅は確認することができませんでした。
高速道路(第二京阪道路)の下に、勧進橋の北詰がかすかに見えます。ただし、京電が渡った勧進橋は、現在よりやや南に架橋されていました。
京都テルサの丸い屋根の向こうに東寺の五重塔、その先に西京極の京都アクアリーナ。京都駅はもう少し右方向になります。
中央の大きなマンションは、近鉄伏見駅近くのファミール伏見。京都教育大学は、もっと左方向で樹木に隠れています。正面の遠くに、松本酒造の大きな蔵が見えます。百川酒造のモデルが松本酒造だとすると、稲子は阿久火大明神から自宅が眺められたということですね。
四ツ辻には観光客がひしめいていますが荒神峰は人影もまばらで、視界が開けて気持ちの良い場所です。この日は晴天に恵まれ、遠く大阪方面までよく見えました。
紅白の煙突は淀のさすてな京都。高槻市の若山あたりの稜線越しに見えるビル群の中に、うっすらとひときわ高いのはあべのハルカスでしょうか。
ここで京電(京都電気鉄道)について書いておきます。
明治23(1890)年に完成した琵琶湖疏水を利用して水力発電が行われたのが蹴上発電所ですが、この水力発電で得られた電力で走らせた鉄道が京電でした。日本初の電気鉄道で、明治28(1895)年2月1日に七条停車場の南側から伏見町の京橋まで(伏見線)が開業したのを皮切りに、京都市内を縦横に走る路線が次々につくられました。明治37(1904)年に勧進橋と稲荷を結ぶ稲荷線もでき、京電の全盛期を迎えます。全長約6mの小さな路面電車で、時速約10kmというのんびりした乗り物でした。
『二十世紀電氣目録』は、表紙が初代京都駅と京電の電車のイラストになっているほか、登場人物が伏見と京都の間を行き来する場面で、電車がしばしば重要な役割を果たしています。
勧進橋を渡る京電の電車(出典「未来へ紡ぐ深草の記憶」WEBサイト)
しかし、明治45(1912)年に京都市電が開業すると、京都電気鉄道は経営難に追い込まれます。大正7(1918)年6月30日、ついに京都電気鉄道は京都市に買収されました。伏見線・稲荷線は京都市電となってからも市民の足として走り続けましたが、昭和45(1970)年3月31日にその役目を終えました。
稲荷の電停跡に残る市電のレール
さて、稲荷山に話を戻します。荒神峰から四ツ辻へ下りると、外国からの観光客で賑わっていました。『二十世紀電氣目録』では、若い2人が四ツ辻の茶店でアイスクリームを食べる印象的なシーンがあります。
四ツ辻からの眺め。足元の地面は、チャートの岩盤がむき出しになっています。
四ツ辻の茶店。俳優の西村和彦さんの実家としても知られています。
小説の中で稲子は、阿久火大明神に参拝するのは個人的な信仰で、百川家のお塚は御膳谷にあると言っています。そこで、御膳谷にも行ってみました。お山一周コースからちょっと石段を上がっただけのところですが、観光客の姿はなく、薄暗いV字谷の底にたくさんのお塚がひしめきあって神秘的な雰囲気でした。野鳥の声に混じって、どこからか水のせせらぎが聞こえ、気持ちが安らぎます。
御膳谷の入り口
「お塚」とは、明治時代以降、個人が思い思い稲荷山に祀った小さな神社で、その数は1万ともいわれています。
苔むした古いお塚が密集しています。
稲荷山はこれくらいにし、山を下りて百川酒造へ帰る稲子を追ってみます。
山を下る途中、ハンゲショウ(半夏生)が咲いていました。
稲荷大社大鳥居の前の道は直違橋通(すじかいばしどおり)です。伏見街道とも呼ばれた古い道で、明治のころには伏見人形を売る店が軒を連ねていました。1.5kmほど南へ行くと、藤森(ふじのもり)神社があり、京都教育大学のキャンパスが隣接しています。かつて歩兵第三十八連隊があった場所です。
藤森神社境内にある、歩兵連隊の跡地をしめす石碑
直違橋通をさらに500m南進して右(西)に折れ、京阪墨染駅の踏切を渡ると鴨川運河に出会います。
鴨川運河は琵琶湖疏水から分岐して伏見街道に沿って南下する水路で、京都電気鉄道が開業する前年の明治27(1894)年に完成しました。鴨川運河沿いの道を少し歩くと、水路の幅が広がって池のようになったところ(伏見上船溜)があります。かつてはここからインクラインが設けられていました。
伏見上船溜
『二十世紀電氣目録』には、稲子と陸健吾(くがけんご)が「墨染インクラインを跨ぐ橋」を渡る場面があります。これは、古い絵葉書に写っている撞木橋と考えられます。
明治時代の絵葉書に写る伏見インクラインと撞木橋(出典「未来へ紡ぐ深草の記憶」WEBサイト)
伏見(墨染)インクラインは昭和30年代まで残っていましたが、今は国道24号の下に埋められ、その名前は伏見税務署前のバス停名に残るのみとなっています。
伏見インクライン跡。横断歩道のあたりに撞木橋が架かっていました。
伏見税務署前のバス停「伏見インクライン前」
伏見税務署の近くに、撞木町があります。大石内蔵助が通ったことでも知られる遊郭跡で、戦前までは深草の兵隊を相手として花街が存続していたようです。現在は、大正7(1918)年に建てられた石碑と「橦木町廓入口」と彫られた門柱だけが残り、往時の面影は感じられません。小説では、この撞木町で派手なアクションが繰り広げられます。
「橦木町廓之碑」(大正7年)が建つ現在の撞木町
以上、『二十世紀電氣目録』に出てくる深草だけを紹介しましたが、この小説は、深草ばかりでなく大阪・京都・滋賀などの各地で展開する、スリルとロマンに満ちた物語です。実際に起こった出来事や話題、世相が随所に散りばめられているため、明治という時代の雰囲気がリアルに伝わってきます。また、当時の文学のエッセンスや実在した人物のパロディーなどもあり、ときどきクスッとさせられます。私のイチ推し!小説です。
ただし、アニメーション版「二十世紀電氣目録-ユーレカ・エヴリカ-」の方は、原作小説とは異なり、蒸気機関だけが発達した「明滋時代」というパラレルワールドとして描かれるそうです。原作にはないキャラクターも複数登場するようです。
なお、私が所属する「伏見チンチン電車の会」が、この原作小説に関連するイベントを企画しています。詳細はまだお知らせできませんが、準備が整いしだい、デジスタイル京都のイベント情報ページ等で告知致します。
| 店舗・施設名 | 荒神峰見晴台 |
|---|---|
| 住所 | 京都市伏見区稲荷山官有地 |
Writerたけばしんじ
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Writerたけばしんじ
深草地域の文化「保存・継承・創造」プロジェクト実行委員、伏見チンチン電車の会代表、ステンシル作家、その他得体の知れぬ肩書が複数。
あまり人に気付かれることのない、実生活には無関係な重箱の隅を、穿った視点で追究してみたいと思います。
1987年日本大学文理学部史学科卒業。本業は教育関係。
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