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2020.09.11

土佐の後藤象二郎と言えば、坂本龍馬が大政奉還を含めた新しい政府のアイデアをまとめた「船中八策」に共感し、土佐藩主山内容堂に大政奉還を進言。幕府側に大政奉還の建白書を提出し、明治政府が誕生する大きなきっかけを作った人物です。明治維新後も大阪府知事をつとめたり、同郷の板垣退助が結党した自由党に参加したりと、60歳で亡くなるまで、第一線で活躍し続けました。そんな象二郎が京都滞在中に拠点としていたのが「壺屋」という土佐藩出入りの醤油商です。その場所には現在ホテルがありますが、2017年、その入り口に建てられたのがこの石碑「後藤象二郎寓居之跡」です。

 

龍馬と長崎で会談し、大政奉還の実現に尽力

船中八策や大政奉還の印象が強く、年齢も近いためか、同じ土佐出身の坂本龍馬とは長く付き合いがあったような気がしてしまいますが、調べてみると、龍馬と象二郎がともに活動したのは、1867年2月~11月のわずか10カ月ほどの期間。

 

というのも、象二郎は土佐でも名家とされる家の出身で、龍馬のような下級武士とは接点があるはずもありません。また、もともと龍馬は、武市半平太がつくった「土佐勤皇党」という尊王攘夷グループの一員でした。このグループは、象二郎にとっては叔父で土佐藩の重臣だった吉田東洋を暗殺した敵。反対に龍馬にとってはその「土佐勤皇党」を弾圧し、武市半平太を切腹させた張本人が象二郎でした。

 

そんなふたりが運命的な出会いを果たすのが、1867年2月。「清風亭会談」と呼ばれる対面です。象二郎は参政(藩の政務を取り仕切る役職)の地位にあり、船を買い付けるため長崎に出張してきていました。龍馬はすでに土佐藩を脱藩した浪士の身。「亀山社中」という貿易結社を作り、長崎で海上輸送の商いをしていた頃です。

混沌とした時代を、土佐藩としてどう立ち振る舞うべきか考える象二郎に、龍馬の口から出たのは徳川幕府が政権を返上するというプラン! 驚きもしたでしょうが、産業の近代化や様式の兵制を藩で推進していた象二郎にとっては未来を照らす光に感じたのかもしれません。

 

船中八策を大政奉還の建白書提出につなげる

そのまま6月まで長崎に滞在した象二郎は、龍馬とともに船で京へ向かいます。この船の中で示したとされるのが、「船中八策」です。一項目目に「天下の政権を朝廷に奉還せしめ、政令宜しく朝廷より出ずべきこと」とあります。まさに大政奉還ですね。

 

そして京に入って象二郎が滞在したと思われるところが、この石碑の場所で醬油商を営んでいた「壺屋」です。注目はその位置。通り名で言うと、河原町通三条下ル。今はありませんがその北側には高瀬川からの五之舟入があり、対岸には坂本龍馬が滞在していた材木商「酢屋」がありました。

 

象二郎は、武力で討幕をと考える薩摩らの説得にあたるなど、平和的な政権交替=大政奉還の実現のために、土佐と京を行き来しながら力を尽くします。そして10月3日、土佐藩主山内容堂の名で記された大政奉還建白書を老中板倉勝重に提出。とうとう10月13日、二条城で徳川慶喜が大政奉還を表明するに至ります。そして象二郎は11月 2日、なかなか上洛しない容堂を説得するために土佐に戻るのですが、その留守の間、11月15日に、盟友・坂本龍馬は三条河原町の近江屋で暗殺されてしまいます。

 

龍馬のアイデアが優れていても、立場は脱藩浪士。実行力は、藩の参政として政治を動かせる立場にある象二郎のほうがあったでしょう。象二郎の政治力がなければ、こんなにスピーディーにことは運ばなかったのではないか。あるいは、実現前に坂本龍馬が暗殺されてしまったのではないか……そんな想像をしてしまいます。

 

象二郎と龍馬、ふたりの距離が目に見えるギャラリーへ

壺屋の跡を示すこの石碑は、現在その場所にある「ホテルリソル京都 河原町三条」が建てたものです。ホテル内には、「後藤象二郎ギャラリー」があり、長崎で撮影した後藤象二郎の写真が、坂本龍馬の写真と並んでいます。2人の写真に映っている台は同じもの。同じ時代、同じ場所にいたのだなと、ちょっと感動してしまいます。

 

そのほか、建白書の複製や象二郎直筆の書などが展示されていて、幕末のこのエリアを身近に感じることができます。

特に、壺屋と酢屋の位置を示しているこのジオラマ! 80分の1の縮尺ですが、ふたりの距離感がよくわかります。ちょっと大きい声で名前を呼んだら、聞こえそうですね。

 

 

ホテル宿泊者以外もギャラリーには入ることができますので、ぜひ立ち寄ってみてください。

 

さて、象二郎は幕末を生き、明治時代にも大臣を歴任し、伯爵に叙せられるなど表舞台で活躍を続けました。この世を去ったのは、明治30年。自らが成し遂げた大政奉還の成果である明治という時代を見届けたんですね。

 

幕末から明治を駆け抜けた象二郎はおおざっぱな性格で世間からは「大風呂敷」と呼ばれていたとか。しかし、本当は違うのではないかと私は思います。イギリス公使パークスは象二郎を「これまで会った日本人の中で最も聡明(インテリジェント)な人物」と評したそうです。パークスは1868年に京都で尊王攘夷派に襲撃され、象二郎に命を助けられました。命の恩人だから、ということもあるかもしれませんが、イギリス人にインテリジェントと言わしめた象二郎。明治以降の活躍にも納得です。

 

※ここで書いた歴史上の出来事については、諸説あります。この記事は下記書籍や現地看板を参考に、作成したものです

 

<参考文献>

ホテルリソル京都「後藤象二郎ギャラリー」(監修 都市ガバナンス研究所)掲示物

「後藤象二郎と近代日本」(著 大橋昭夫 三一書房 1993年)

Information
店舗・施設名 ホテルリソル京都 河原町三条
住所 京都市中京区河原町通三条下る大黒町59-1
電話番号 075-255-9269 
営業時間 ギャラリーは9:00~20:00
ホームページ https://www.resol-kyoto-k.com/

Writer 株式会社文と編集の杜

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Writer 株式会社文と編集の杜

歴史が好きなライター・瓜生朋美が2013年に設立した編集・ライティング事務所。「読みものをつくること」を業務に、インタビュー、観光系ガイド、広告記事、書籍など、ジャンルを問わず企画・編集・ライティングを行っている。近年は、歴史イベント運営や広報物の制作も担う。2020年オフィスに表現を楽しむスペース「店と催し 雨露」を併設。イベント開催するほか、雑貨の販売も。
WEB:http://bhnomori.com/

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