グルメ・お土産

2019.10.02

地下鉄鞍馬口駅近くにあるこの石碑。

2017年3月に「NPO法人京都歴史地理同考会」によって建てられたもので、「薩長同盟所縁之地」「近衛家別邸 御花畑屋敷跡」「小松帯刀寓居跡」と彫られています。

つまり、「近衛家別邸 御花畑屋敷」が「小松帯刀寓居」となり、その小松邸こそが、「薩長同盟」が結ばれた場所と言われているのです。

 

 

薩長同盟とは、「坂本龍馬が薩摩と長州の仲を取り持って、幕府に対抗していった契機となった約束」、ざっと言えばそんな感じ、ですよね。当時、薩摩と長州は敵対していましたから、ありえない出来事でした。今回は、なぜその同盟がこの場所で結ばれたのか。この場所に住んでいた小松帯刀を軸に、ご紹介します!

 

薩摩藩の若き家老として大活躍

 

肝付尚五郎(のちの小松帯刀)は、1835年、薩摩の喜入領主である肝付家に生まれました。肝付家は島津家家臣団でもかなり格の高い家柄。薩摩の武士のなかでは上士です。明治維新で活躍する、西郷隆盛や大久保利通は下士でした。

帯刀は22歳の時、平清盛にルーツを持つ小松家の養子となります。日置郡吉利郷に領地を持ち、島津家の家老をすでに2人輩出していた名家です。

帯刀は養子になる前、島津斉彬が藩主の時代、21歳で奥小姓・近習番勤めに任じられてから、藩のさまざまな立場で働き、28歳で〝家老並〟の役職につきます。斉彬が急逝し、あとを引き継いだ形となった弟・久光が、若い人材を登用してみずからの体制を作り上げる過程で、帯刀も抜擢されたのです。

帯刀は大番頭・家老並のほか、御旅御側御用人、御側詰・御側役、御軍役掛、蒸気船掛……と、いろいろな役に任ぜられていることから、久光の信頼がかなり厚かったことが分かります。藩内で能力を発揮し、力を持ってきたことは当然のことですが、帯刀の面白いところは、混沌とした幕末にあって、さまざまな勢力を繋ぐ、調整役のような役割を果たしたことだと私は思います。それが帯刀が近衛家別邸に住んでいて、そこに薩摩と長州の主要メンバー、そして坂本龍馬が集まり、薩長同盟が結ばれた、その事実に表れているのです。

 

朝廷も、幕府も、薩摩藩も。バランス感覚の優れた人物

 

島津家は以前から摂関家筆頭の近衛家と深いつながりがあり、久光の養女・貞姫が近衛忠房に輿入れした際に、取り仕切った担当者が帯刀でした。この功績を認められ、近衛家は、別邸である御花畑屋敷に帯刀を住まわせ、近衛家の家紋を使うことまで認めています。帯刀が京を離れ、薩摩へ帰ると、「早く京へよこしてくれ」と藩主に手紙を書いたと言いますから、相当頼りにしていたのでしょう。

また、薩長同盟(1866年)の一年先の話になりますが、大政奉還(1867年)でも帯刀は大きな役割を果たしました。二条城で十五代将軍・徳川慶喜が大政奉還の意思を示したとき、帯刀は最後まで居残り、慶喜に「速やかに」朝廷に上奏するように迫って、大政奉還の実現を成し遂げました。そもそも、慶喜を将軍にすることは、斉彬の時代からの薩摩の悲願。帯刀は慶喜と以前から交流がありました。慶喜は薩摩の黒豚が好物で、たびたび、豚肉を所望されたとか……。緊張感ないなぁという気もしますが(笑)、それだけ親しかったということでしょうね。

もちろん、大久保利通や西郷隆盛とも連携して動いています。隆盛は帯刀の8歳年上、利通は3歳年上と、一番年齢は若いのですが、久光とのパイプ役として、そして藩の実務をとりしきるポジションとして、主要な場面にはほぼ同席しています。私のイメージでは、すごく仕事ができる部長さん。帯刀は薩摩藩の中でも位の高い武士でしたが、身分をこえて人々と接し、コミュニケーション能力にたけていて、商人のように近づきやすい人柄だったと言われています。隆盛や利通よりも地味な印象ですが、こういう人がいないと、組織は動かないのです。

 

小松帯刀と坂本龍馬の出会いが生んだ薩長同盟

 

帯刀を語るうえで外せないのが坂本龍馬です。

というよりも、坂本龍馬を語るうえで外せないのが小松帯刀と言うべきかもしれません。実はふたりは同じ年の生まれ。出会いは池田屋事件があった1864年、30歳のときです。勝海舟の神戸海軍操練所が廃止され、その塾頭だった坂本龍馬をはじめ、行き場所を失った塾生たちを、大阪の薩摩藩邸に引き取ったのです。薩摩としては、船を自由に操れる人材が欲しいということもあったのでしょう。帯刀は薩摩の自邸に彼らを住まわせたあと、長崎の亀山を拠点にして、薩摩の交易船で働くように手配しました。これが龍馬の亀山社中へとつながります。

こうして帯刀と出会ったことで、龍馬の薩長同盟構想は実現していったのです。この一連の過程をみると、薩長同盟の話し合いがもたれたのが京都の帯刀邸であったことは、自然な流れです。しかも、小松帯刀邸=近衛家別邸ですから、幕府側も簡単には近づけません。これも帯刀が築いたネットワークがあってこそ、です。

 

ちなみに、薩長同盟が結ばれた後、坂本龍馬が伏見の寺田屋で襲われる寺田屋事件が起こります。龍馬は薩摩藩邸にかくまわれたあと、妻のお龍と共に薩摩へ行きます。帯刀の別荘でしばらく過ごし、温泉に入ったり、高千穂で天の逆鉾を抜いたり。束の間の幸せを満喫。この日本初の新婚旅行と言われるこの時間をプロデュースしたのも帯刀だったのですね。

薩摩藩の家老として活躍し、薩長同盟、大政奉還と、重要な役割を果たした帯刀ですが、若い時から足の痛みに悩まされていました。時折、湯治に出掛けたりしていたものの、仕事ができる人には仕事が集まるもので、なかなかゆっくりと休むことはできませんでした。ようやく時代が明治と改元されたころに休暇が認められて、1869(明治2)年、薩摩へ帰ります。しかし、すでに病は悪化。下腹部に腫瘍があったと言われています。オランダ人医師のボードインの診察をうけるため、大阪へ行きます(このボードインさん、大村益次郎が襲われたときに、治療にあたった医師です)が、病は完治せず。帯刀は、1870(明治3)年、36年の生涯を閉じました。

 

 

歴史的会談が行われた場所は、ゆっくり寛げるカフェに

 

駆け足で小松帯刀の人生を追いましたが、その寓居跡とされる場所には現在「喫茶 フランジパニ」というお店があります。古い町家を改装した落ち着いた雰囲気のなか、ゆっくりとコーヒーをいただけるカフェ。おすすめは、オムレツをはさんだ京都風の卵サンド。キュウリやレタスの緑とオムレツの黄色のコントラストが鮮やかで、ひと口食べると、少しからしの風味もする大人の味です。

約150年前、日本の将来を左右する大きな話し合いがなされたことを示すのは、お店に置いてある小松帯刀の本と、外に立っている石碑だけ。のんびりと窓の外を眺めながら、卵サンドやコーヒーを味わいつつ、ここに西郷隆盛、桂小五郎、坂本龍馬が集合したと思うと、ちょっとワクワクしませんか。そのメンバーを集めたのが、小松帯刀だったのです。

 

卵サンド650円。コーヒー(ブレンド)450円

※ランチタイム(11時~14時)は、フードにプラスするコーヒーは250円に

 

※ここで書いた歴史上の出来事については、諸説あります。この記事は下記書籍や現地看板を参考に、作成したものです。

 

 

〈参考文献〉

 

『小松帯刀』高村直助(2012年 吉川弘文館)

『龍馬を超えた男 小松帯刀』原口泉(2008年 グラフ社)

Information
店舗・施設名 喫茶 フランジパニ
住所 京都市上京区室町通鞍馬口下ル森之木町462
電話番号 075-411-2245
営業時間 10:00~17:00
木・日曜定休
交通 地下鉄鞍馬口駅下車徒歩約1分

Writer 株式会社文と編集の杜

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Writer 株式会社文と編集の杜

歴史が好きなライター・瓜生朋美が2013年に設立した編集・ライティング事務所。「読みものをつくること」を業務に、インタビュー、観光系ガイド、広告記事、書籍など、ジャンルを問わず企画・編集・ライティングを行っている。近年は、歴史イベント運営や広報物の制作も担う。2020年オフィスに表現を楽しむスペース「店と催し 雨露」を併設。イベント開催するほか、雑貨の販売も。
WEB:http://bhnomori.com/

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