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手がかりは石碑! 今どうなった?京都の幕末事件簿

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2つの寺田屋事件。ドラマチックな龍馬編と、切なく壮絶な薩摩藩士編

2019/06/28

はやくも間が空いてしまいました!すみません。ライターのちくしともみです。

 

前回の「池田屋事件」に続く事件簿は、有名な「寺田屋事件」についてご紹介します。

 

幕末、寺田屋での〝事件〟と呼べるような想像は、実は二つありました。一つはテレビドラマなどでよくでてくる坂本龍馬の寺田屋事件です。まずは、こちらから参りましょう!

 

幕末一の人気者、坂本龍馬。幕末という激動の時代にあって、日本の内と外に同時に目を向け、古い考えにとらわれることなく、新しい国の姿を夢見た英雄。その進歩的な考えや行動力に魅了される、かっこいいヒーローです。それでいて、完璧人間ではなさそうで、茶目っ気があって(多分。そんな気がしません? 土佐弁のせい? テレビドラマのせい?)。とにかく、歴史物のドラマを見ていても、「坂本龍馬は誰がするのかな?」と、ひときわ気になる存在です。

 

わずか三十数年という短い人生を駆け抜けて、死後150年経ってもこんなに愛されている。そんな人物は、龍馬以外には考えられないと思います。

 

私は高知県に2年ほど住んでいたことがありますが、高知県民にとって龍馬は誇り。駅前と桂浜に大きな銅像があります。そして京都にも、龍馬愛をとっても感じるまちがあります。それが伏見です。

伏見は豊臣秀吉が城を築いた城下町を土台に、江戸期には大阪と京都を結ぶ物流拠点として栄えた活気ある町です。伏見と言えば酒処。そして龍馬なのです。

 

京阪電車の伏見桃山駅を降りると、さっそくイラストの龍馬がお出迎えしてくれます。

 

京阪・伏見桃山駅を出たところ、大手筋商店街にある龍馬とお龍のイラスト

 

 

「龍馬通り」という商店街があったり、店のシャッターにも龍馬のイラストが。商品にも龍馬と名のついたものが多く、とにかく、龍馬、龍馬、龍馬!なのです。

龍馬通り商店街は龍馬だらけ!

 

 

なぜ伏見で龍馬なの?

龍馬と伏見を結びつけるのが、京橋の旅籠「寺田屋」で遭遇したアクシデント「寺田屋事件」です。これは、寺田屋に宿泊していた龍馬を伏見奉行所の捕吏たち(お役人です)が襲い、それを間一髪、お風呂で察知した龍馬の妻お龍が、ガバッと風呂から出て、着物を羽織って(ドラマでは。いろいろと調べてみると「裸で」と書いてある本も!)階段を駆け上がり、龍馬に知らせる…。有名なあのシーンの舞台が寺田屋です。

 

寺田屋の石碑がこちら。「坂本龍馬先生遭難の趾」とあります。

寺田屋前にある石碑

 

 

まずは、歴史的な背景を少しおさえておきましょう!

寺田屋は慶長2年(1597年)から伏見で船宿を営んでいました。1597年と言えば、関ヶ原の戦いが1600年ですから、豊臣秀吉が亡くなって、徳川家康の時代へと移っていく、これまた激動の時代です。

船宿、と言いましたが、当時の便利な乗り物と言えば船です。京と大阪は淀川水運で結ばれて、人々は三十石船に乗って行き来していました。その京の玄関口が伏見。伏見にはたくさんの宿があり、寺田屋もその一つで、薩摩藩の定宿でした。寺田屋の目の前は川。ここに船をつけて宿へ入っていったのでしょうね。

 

右下に「寺田屋」と看板が見えます

 

さて、その薩摩藩の定宿に、なぜ、土佐藩(脱藩浪士ですけど)の龍馬がいるのか? それは薩摩藩士のふりをしていたからです。

「寺田屋事件」があったのは、慶応2年、1866年です。この事件の直前(2日前)、薩長同盟が結ばれました。それまで反目し合っていた薩摩藩と長州藩が龍馬の仲立ちで「これから我々は協力していこう」となったわけです。とはいえ、SNSもありませんし、世間に対して「同盟結びました!」と発表したわけではないでしょうから、締結のわずか2日後に、伏見奉行所(つまり幕府側)にばれた、というよりも、それまでの動きから、「龍馬は何やら怪しい」と勘繰られていたのではないかなと私は想像します。

 

宮川禎一著「再考 寺田屋事件と薩長同盟」(教育評論社2018年)に、面白い説が載っていました。龍馬が寺田屋で幕府側に襲われたのは、龍馬の作戦ではないかというのです。

寺田屋では、龍馬たちは逃げきりましたが、薩長同盟について書いた文書は奉行所に押収されてしまいました。それが、「あえて」なのではないかと。薩長同盟を結んだと言っても、薩摩には長州と手を結ぶことを良しとしない人々もいます(おそらく長州にも)。そこで薩長同盟を広く知らしめて、既成事実化しようとした。さらには、このことを知って、「えっ! うちの藩はどうする?」と、身の振り方を考えるほかの藩もあるでしょう。「命がけでそんなことを!?」と思いますが、龍馬ならやるかもしれないと思わせるところが彼の魅力です。

 

このとき龍馬を襲った伏見奉行所の捕吏は30人とも、70人、80人とも。とにかく大勢で宿を取り囲みました。それに対して、龍馬は手を切りつけられながらも、脱出に成功。薩摩藩邸に逃げ込みます。龍馬も、一緒にいた長州藩士の三吉慎蔵も、危険を知らせたお龍も無事でした。

ですが、そんなに大勢で押しかけておいて、捕まえられないなんて…と思いませんか? このとき、龍馬は短銃で応戦し、4発撃ったようです。捕吏たちは槍や刀ですから、おそれをなした…のでしょうか。ちなみに、この短銃は高杉晋作にもらったものなんだそう。幕末は役者が豊富ですね。

 

もうひとつちなみに。このとき龍馬は手を切られました。その傷の湯治に薩摩の霧島温泉にお龍と出かけて、それが日本最初の新婚旅行と言われています。龍馬はその刀傷で左手の人差し指が不自由になってしまい、そのため、写真を撮るときには左手を隠しているとか。確かに、写真や銅像で手が見えないポーズのもの、よく見かけますよね。

 

寺田屋横にある龍馬の銅像。たしかに手を見せていません

 

 

>もう一つの寺田屋事件、薩摩藩士の同士討ち。「薩摩藩九烈士殉難の趾」

スポット情報

店舗名 寺田屋
住所 京都市伏見区南浜町263
電話番号 075-622-0243
営業時間 見学は午前10時~午後4時(受け付けは3時40分まで) 

地図

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ライター紹介

手がかりは石碑! 今どうなった?京都の幕末事件簿一覧

ちくしとみみ

ライター:ちくしともみ

京都でライター業にいそしみ十余年。2017年、編集とライティングの会社「株式会社文と編集の杜」をつくるも、実は歴史教師を目指して、歴史学科を卒業した歴史好き(中国史専攻だけど)。「歴史なんて面白くない」と言う人に出会うと、歴史学の必要性について滔々と語ってしまう悪癖があるので、普段は歴史好きであることは隠している。尊敬する人は、古代ギリシャの歴史家、〝歴史の父〟ヘロドトス。

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