おでかけ

2025.05.08

京都に実在した伝説の男、「河原町のジュリー」

2020年2月5日はある男の命日だった。36年前、その日の京都はいつも以上に「底冷え」のする日で、円山公園の一角で冷たいコンクリートの上に横たわる男性ホームレスの遺体が発見された。凍死だった。社会生活から離れホームレス状態にも関わらず、当時、彼のことは京都に住む者には知られた存在だった。誰もその男の本名は知らない。しかし、伝説の男としてこの町では「河原町のジュリー」と呼ばれていた。

 

濁っているのにビー玉のような目

「河原町のジュリー」が生きていた頃、交番勤務をしていた木戸という男性の視点でこの物語は描かれている。新任の警察官として配属されたのは、京都随一の繁華街のど真ん中にある三条京極交番。やがて彼は、ホームレスである「河原町のジュリー」が、京都の町の人たちに受け入れられた存在であることに気づく。「世捨て人」らしいその男の風貌は、こう表現されている。

 

「伸ばし放題の髪と髭。ずっと洗っていないボロボロの服。ボロ靴の先は穴が開いている。」

 

しかし、「垢まみれの真っ黒な顔には、微塵も卑屈さがない。」のだ。木戸が見た彼の目は、「汚いという感じは不思議となく」、「ラムネ瓶の中のビー玉のような目」をしていた。

 

そして彼は誰とも視線を合わせない。けれど「何かを見ている」。

虚ろな視線ではなく、意思を持って何かを見ているのだ。それは「他人には見えない何か」、であると木戸は感じるのである。

 

強い光を放つ「世捨て人」

河原町通りと新京極通りに挟まれた南北に走る通り。地元の人には「裏寺町」と呼ばれている。その界隈にあるバーで、バーテンダーをしている柚木という女性もこの物語に登場する。写真が趣味で、京都の町のさまざまな風景をカメラにおさめている。

 

しかし、1枚も「河原町のジュリー」が写り込んだ写真はない。柚木がいい写真が撮れた、と思うのは普段、人の目には意識されない「影」が撮れたときだ。そして「あの男には「影」がない」からであり、「彼自身が、強い光を放つ光源」であるから柚木はシャッターを押せない。彼が放つ「光」とは。その謎は物語の後半で少しだけ明らかになる。

 

歩くのは、京都のメインストリートのみ

木戸が「河原町のジュリー」を見かけるのは、京都の「表通り」でのみだった。彼の行動範囲は決まっているらしく、木戸の上司、山崎はそんな彼のことを「ホームレスのくせに律儀」だと言う。

 

「あいつの行動範囲は、決まっとる。『河原町のジュリー』の名の通り、四条河原町の交差点から河原町三条の交差点、そして三条通り、そこから寺町通り、あるいは新京極通りを南下して再び四条通り。毎日毎日、そのブロックをぐるぐる歩いとるんや。」

 

秘められた過去

「河原町のジュリー」が柵にもたれてずっと東の空を眺めている光景を、木戸も柚木も度々目撃している。そしてその光景は、何十年経っても2人の目に焼き付いている。

 

誰とも目を合わせず、京都のメインストリートの決まったコースを歩く。じっと東の空を見つめている「河原町のジュリー」の姿は、とても「世捨て人」には見えなかったのだろう。

 

人が避けるほど薄汚れた格好をしていても、彼の内面は、社会の一員として生きる誰よりも綺麗だったのかもしれない。

 

物語の後半では、「河原町のジュリー」の過去が明かされる。自分を救ってくれた大切な人との別れがあったのだ。

 

といっても、なぜ彼が突然なにもかもを捨て、「世捨て人」になったのかはハッキリとは明かされていない。なぜならその理由は誰にも分からないのだ。

 

けれど、この物語を読み終わった後、彼が過去に味わった悲しみを胸に置きながらもう一度再読してほしい。それにより、「河原町のジュリー」がなぜ世捨て人になったのか、なぜ京都のメインストリートしか歩かなかったのか、そしてなぜ、東の空を度々眺めていたのか。その理由についてきっと読み手ごとの解釈が生まれるだろう。

 

「彼の人生の、本当のことは、彼自身にしか、わからないんじゃないでしょうかね。」

 

 

本で巡る京

「河原町のジュリー」の歩いた、河原町通りと新京極通りから1本隔てたところにある「裏寺町通り」。そこを彼は絶対に歩かなかったという。彼は京都一繁華街の「表通り」しか、歩かなかったからだが、その理由はぜひ実際に歩いて想像したいところだ。

 

「河原町のジュリー」は実在の人物であり、この物語は著者の視点で描かれたフィクションである。

 

この書評を書くにあたり、長く京都に住む知り合いに聞いてみたところ、やはり「河原町のジュリー」を知っていた。その名前を聞いた瞬間、心なしか、その人の顔には嫌悪感などなく、むしろ懐かしさを感じているような気がした。

 

京都は、大切な人の思いを汲んで、その人を懐かしみ、ひとり静かに歩くには適した町なのかもしれない。

 

【書籍情報】

『ジュリーの世界』

著者:増山実  出版社:ポプラ社

Information
店舗・施設名 四条河原町
住所 京都市下京区稲荷町

Writer瀬田かおる

アバター画像

Writer瀬田かおる

本が好きすぎて読むだけでは満足せず、民間資格である「JPIC読書アドバイザー」を取得。ライターとしても活動しており、大手出版社のWEBメディアでは本の紹介記事を執筆、書籍のリライト業務など行っている。また、書籍のレビューをSNSで発信し、本との出合いの場を“書く”ことで提供している。地域の文学賞一次選考の審査員を務めた経験もある。 note:https://note.com/setata/m/m4837f80d4437
X:@setata03

  • 公式LINE
  • 公式Facebook
  • 公式X
SCROLL TOP
pagetop