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手がかりは石碑! 今どうなった?京都の幕末事件簿

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5年間で拠点を点々とした新選組。屯所引っ越し遍歴前編―八木邸・旧前川邸―

2022/06/23

幕末の京都で活躍した新選組。京都の治安維持のため、文久3(1863)年から約5年間にわたって京都で活動していました。

もともと関東から来た浪士の集まりであった新選組。京都では会津藩御預りになったものの、拠点を点々としています。今回はそんな新選組のお引越し遍歴を前後編にわたってご紹介。まずは、最初に屯所とした八木邸と前川邸。場所は京都市中心部、壬生エリア。現在は商店が立ち並ぶ賑やかな場所ですが、当時は“京のはずれ”だったとか。ここから新選組の歴史が始まったのです。

 

隊士と住人が同居! 芹沢鴨暗殺事件も起こった八木邸

近藤勇や芹沢鴨ら浪士組(のちの新選組)の13名が最初に落ち着いたのは八木邸、前川邸という2軒の家。

この「新選組遺跡」の石碑は、八木邸の前に昭和6(1931)年に京都市教育会によって建てられました。八木邸は京都市の有形文化財に指定されている建物で、一般公開されており、新選組の隊士たちが使用していた部屋を実際に見学することができます。

 

案内してくれたのは、八木邸の隣にある京都鶴屋代表取締役社長・八木勢一郎さん。新選組に住まいを提供した八木家の子孫です。

「当時の当主・八木源之烝は壬生郷士の長老的な役割をつとめていました。そこで京都所司代とつながりがあって、八木家が拠点の一つに選ばれたのだと思います」

 

八木邸の奥の間は、隊士だった芹沢鴨ら3人が、土方歳三、沖田総司たちの闇討ちにあい、暗殺された場所。芹沢鴨の日頃の素行が問題視されていたことが理由だとされています。

「芹沢は小説や映画のイメージで悪役に描かれがちです。しかし剣の腕もたちましたし、一角の人物だったと思います」と八木さん。

 

部屋には芹沢鴨らを襲撃した際についたとされる刀傷も残っています。誰によってつけられた傷かはわかっていませんが、当時の緊迫した状況が伝わってきます。

 

奥の間に座ってみると、室内はとても落ち着いた空間で、耳を澄ますと聞こえるのは庭の草木の葉が擦れる音。約160年前にそんな悲惨な事件があった現場だとは思えません。しかも、驚いたことに当時、隊士たちと八木家の人々は一緒に住んでいました。

そんななかこんな事件が起こるなんて……!「ここは本家でしたので、八木家の人たちも行くところがありません。共同生活はすごく大変だったと思います」と八木さん。

 

見学後は抹茶とお菓子でほっと一息

八木邸の見学(一般1100円)には、隣の京都鶴屋での抹茶と屯所餅がセットになっていますので、見学の後で休憩を。屯所餅は、やさしい甘さの餡を壬生菜入りのお餅で包んだもので、30年ほど前に考案された京都鶴屋の代表菓です。新選組もこのあたりでこんな風にお餅を食べながらくつろいだのかも……なんて想像してしまいました。

 

現在非公開の旧前川邸。土日祝限定で新選組グッズを販売

続いて前川邸。八木邸の斜め向かいにあり、現在一般公開はされていませんが、土曜、日曜、祝日限定で、幕末に勝手口として使用されていた場所で新選組関連のグッズを販売しています。

 

新選組がいた当時の前川家当主は前川荘司。幕府や大名などの役人に金銭の両替や貸し借りをする掛け屋を営んでおり、奉行所や京都所司代と深いかかわりがあったそう。そのつながりで、役人からの信頼が厚く、上洛する浪士たちの宿を決めるにあたって声がかかったと言われています。

 

そして壬生の立地も新選組の拠点に適していたと話すのは、旧前川邸の田野むつ馨さん。

「壬生は二条城や御所へのアクセスが良い。さらにいきなり江戸の浪士集団を中心部に住まわせるのは、いくら役人からのお願いだとしても不安だったのでしょう。だから京の町からはずれているこの場所を選んだのではないかと思います」

 

今回の取材では特別に(!)非公開の前川邸内部を見せていただくことができました。

先に紹介した八木邸と分宿して、前川邸に拠点を置いた新選組。前川邸でも悲惨な事件が起こっています。元治元(1864)年、総長の山南敬助が隊規違反により切腹したのは前川邸の上の写真の部屋でした。山南敬助が切腹にあたり介錯を頼んだのは沖田総司だったとか。

最期の時を迎え、覚悟を決めた山南敬助を見つめる沖田総司……。そんな歴史のワンシーンが目の前に浮かびます。

 

そして、引き戸に書かれた近藤勇直筆の書も見せていただきました。

「新選組 隊長 近藤勇」の文字と花押が見えます。近藤勇は武州出身の農家の三男。それが会津藩主お抱えの武士へと大出世を遂げたので、その喜びは人一倍だったのでしょう。この力強い筆は、自らの意気込みを証明するものだったのかなと想像してしまいます。

 

前川邸には、池田屋事件のきっかけになった古高俊太郎の拷問に使われた蔵なども残っていて、激動の幕末を感じさせる前川邸。一般公開はされていませんが、こうして歴史が受け継がれているんですね。

 

砲術訓練の場などに使われた壬生寺

旧前川邸・八木邸から少し足を延ばした先にある壬生寺も、新選組に深いかかわりが。『新選組のすべて〔増補版〕』(新人物往来社編、新人物往来社、2004年)によると、沖田総司が非番の日に近所の子どもたちと鬼ごっこをして遊んでいたという微笑ましいエピソードがあります。また境内で隊士が兵法訓練として大砲を撃つので迷惑をしているという内容の訴状が実際に残っていて、歴史資料室にて展示を見ることができます。

 

こうして壬生の地で京都での活動をスタートさせた新選組。池田屋事件などの大事件はここから出動していったのです。そして慶応元(1865)年、西本願寺に拠点を移しました。その後の活動は後編でご紹介します。お楽しみに!

 

※ここで書いた歴史上の出来事については、諸説あります。この記事は下記書籍や現地看板を参考に、作成したものです。

参考図書

新人物往来社 編『新選組のすべて〔増補版〕』 新人物往来社、2004年

 

■新選組屯所 旧前川邸

住所:京都市中京区壬生賀陽御所町49

電話番号:非公開

営業時間:土日祝日(10:00~17:00)のみ

ホームページ:https://kyu-maekawatei.com/index.php

 

■壬生寺

住所:京都市中京区壬生梛ノ宮町31 (正門:坊城通り四条下る)

電話番号:075-841-3381

営業時間:8:30~17:00(壬生塚・歴史資料室は9:00~16:00)

ホームページ:http://www.mibudera.com/index.html

スポット情報

店舗名 壬生屯所旧跡 八木家
住所 京都市中京区壬生梛ノ宮町24
電話番号 075-841-0751(京都鶴屋鶴寿庵)
営業時間 9:00〜17:00(最終受付16:00)
ホームページ https://www.mibu-yagike.jp/

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ライター紹介

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ライター: 株式会社文と編集の杜

歴史が好きなライター・瓜生朋美が2013年に設立した編集・ライティング事務所。「読みものをつくること」を業務に、インタビュー、観光系ガイド、広告記事、書籍など、ジャンルを問わず企画・編集・ライティングを行っている。近年は、歴史イベント運営や広報物の制作も担う。2020年オフィスに表現を楽しむスペース「店と催し 雨露」を併設。イベント開催するほか、雑貨の販売も。

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