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武家屋敷が立ち並び、石畳が敷かれた塩見縄手に位置する旧居
武家屋敷が立ち並び、
石畳が敷かれた塩見縄手に位置する旧居

 
DATA 小泉八雲旧居

明治24年(1891年)5月から11月までの6カ月間、セツ夫人と共にすごした家が、所有者である根岸家の手によってほぼ当時のまま保存され、公開されている。
「ヘルン先生のおうち」

長屋門を抜けると、薄紫の花をつけた瑠璃柳(ゆりやなぎ)の木が迎えてくれる小泉八雲旧居。
ラフカディオ・ハーンこと小泉八雲が中学校の教師として松江に赴任した際、学校関係者から「ヘルン先生」と呼ばれたことから、別名を「ヘルン旧居」という。
武家屋敷に住むことを熱望し、念願叶って当時空き家であったこの家を借りた八雲は、三方に見える庭を非常に気に入ったという。
また、庭に住む小動物——特に「蛙」に対してひとかたならぬ愛情を注いだ。
同じ庭の住人である「蛇」に食べられることを哀れみ、自分の食事に出された肉を蛇に与えて命を救ったというチャーミングな話が伝えられているほどである。
のちに八雲は、ここの庭を随筆『知られぬ日本の面影』の十六章「日本の庭園」のなかで細やかな描写と共に紹介し、絶賛した。

——後日談——
旧居を訪ねてからというもの、帰化したサッカー選手を見る度に、なぜか八雲とこの庭を思い出してしまうのであります。

   
松江城にあったといわれる苔むしたシャチホコが、庭の奥に配置されている 前にも横にも後ろにも、緑豊かな「日本の庭」が見える。ヘルン先生が愛した庭だ
  松江城にあったといわれる苔むしたシャチホコが、庭の奥に配置されている 前にも横にも後ろにも、緑豊かな「日本の庭」が見える。 ヘルン先生が愛した庭だ
   
------------------- 小泉八雲(ラフカディオ・ハーン)の旅路 -------------------
嘉永3年(1850年)、ギリシャのレフカダ島生まれ。父はアイルランド人で、母はギリシャ人。19歳でアメリカに渡る。24歳で新聞記者になり、やがて外国文学の翻訳や創作を発表するようになる。明治23年(1890年)、39歳のときに横浜に来日。その後英語教師として松江に来る。松江の町と人を愛するも、冬の寒さに耐え切れず、1年3ヶ月で松江を去ることになり、松江藩士の娘である小泉セツ夫人を伴って熊本へ赴く。熊本にて、セツ夫人との間に長男をもうけ、明治27年(1894年)、神戸に移り住む。明治29年(1896年)に帰化して「小泉八雲」と改名、同年東京に転居し、以後、東京帝国大学に英文学の講師として勤務しながら多くの作品を発表。明治37年(1904年)、早稲田大学文学部講師となるも、同年9月に狭心症のため急逝。享年54歳。
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