中原中也の故郷、湯田温泉は山陽路最大の湯量を誇る名泉。72度という高温の湯が毎日2000トンずつ湧き出ている。泉質は無色透明の単純アルカリ泉。肌によく馴染み、特に女性に人気が高い。
湯田温泉のマスコット、白キツネ。
その昔、白狐が湯に浸かり、その傷を治したという言い伝えがある。
 歴史的にも古く、発祥はおよそ800年前。けがをした白狐が温泉に浸かり、その傷を治したのが始まりという、白狐伝説が言い伝えられている。幕末においては、長州をはじめとする勤皇の志士達が夜ごと訪れ、密会を開いたという

 大小あわせて20を越える旅館が立ち並ぶ温泉街には2ヵ所の足湯があり、ここだけを目当てに訪れる観光客も少なくない。

 中也にとっては少年時代の遊び場であり、上京してからも度々帰郷して、湯田の街をほろ酔い歩いた。中也が結婚式を挙げたのも湯田温泉旅館の一室である。この他、中也にまつわる場があちらこちらに点在している。

湯田温泉名物の足湯
ここだけを目当てに訪れる人も少なくない。

[中也詩碑]

 中也記念館のすぐ近くにある高田公園に、昭和40年(1965)、中也を偲ぶ友人と郷土の人々により詩碑が建てられた。碑には小林秀雄の筆による「帰郷」の一節と大岡昇平の碑文が刻まれている。
また、温泉情緒を偲ばせる錦川通りには、未刊詩篇の「童謡」が記された詩碑がある。ここに彫られた書は中也の自筆原稿から写しとったものが使われている。
高田公園にある中也記念碑
「故郷」の一節が刻まれている。
錦川通りの記念碑
[権現山(熊野神社)]

 高さ40メートルほどの小さな山の上に熊野権現が祀られている。中也はよく学校をさぼってこの山に登り、後年も長男文也を連れて遊びに来たという。
中也がよく訪れた権現山
[中也の墓]

 湯田温泉街の西、吉敷地区に中原家の墓がある。墓碑に刻まれた「中原家累代之墓」の文字は中也が中学2年の時に書いたもの。
墓所のそばには「一つのメルヘン」のイメージのもととなった吉敷川が流れている。
中原家の墓
刻まれた文字は中也自身によるものである。
吉敷川
「一つのメルヘン」など、詩作のイメージになった。

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