「拝観料」ならぬ「献金」をして堂内に入る。そこには祈りを捧げる人が数名。なんとなく見学しているだけの自分がき恥ずかしい。たまたま練習中のパイプオルガンが、広い堂内を満たすように同じ旋律を繰り返していた。

大きな三角屋根は幕屋(テント)をイメージしている。

 サビエル記念聖堂は昭和27年(1952)、フランシスコ・ザビエルの山口来訪400年を記念して創建。平成3年(1991)焼失ののち、平成10年(1998)に再建された。
三角錘の大屋根に、高さ53メートルの2本の塔がそびえ立つ。聖書に記された「神の幕屋(テント)」をイメージしたものだ。鐘塔の先端につけられた9つの鐘には、それぞれ、平和のメッセージがラテン語で刻まれている。
内部は2階が聖堂、1階はクリスチャン記念館となっている。ここでは、フランシスコ・ザビエルの足跡と日本におけるキリスト教のあゆみが紹介されている。
聖堂内の祭壇にはステンドグラスを通した光が
青く降り注いでいた。

 スペインのナバラ王国ハビエル城主の子として生まれたザビエルは、イエズス会宣教師として、インド、セイロン、マラッカなどで伝道を行い、1549年、ザビエル44才のときに鹿児島へ上陸。山口領主大内義隆の許可を得て、この地を拠点に布教活動を行った。
街頭に立ち、話をし、質問に答えて神の存在を説く。言葉の通じない異文化の地で、ひたすら布教を続ける日々。次第にザビエルの言葉は人々の心に届いていった。
「最も激しく対峙した人たちが一番最初に信者になりました。」(ザビエル書簡)
1552年、ザビエルは新たな布教の地を目指して日本をあとにするが、その旅の半ば、47才の生涯を閉じる。このころ、日本の信者は4000人を越えていたという。
クリスチャン記念館
フランシスコ・ザビエルの足跡などを紹介している。
フランシスコ・ザビエル
戦国の日本に、初めてキリストの福音を伝えた。

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