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白壁沿いの掘割に鯉が戯れ、菖蒲の花が漆喰に映える。 そんな、城下町津和野を代表する風景に出会えるのが殿町通りである。 通りには旧藩校の養老館をはじめ、代々家老職を務めた多胡家や大岡家の表門などが、今も当時のままの姿で軒を連ねている。 |
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| 津和野の代名詞となった、掘割に鯉。 以前は民家のなかにも多く流れ込んでいた。 |
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| 津和野が城下町となったのは鎌倉時代にさかのぼる。元の来寇にそなえ、吉見氏が津和野城を築いたのがその始まり。その後、江戸初期の慶長年間、坂崎直盛の時代に防火用水路として掘割が造られた。そこに鯉が泳ぐようになったのは、非常食用ともボウフラ対策ともいわれている。 | |
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藩校である養老館はその後の亀井氏の時代、8代矩賢によって創建され、11代茲監によって大きく発展した。人材の育成に力を入れた茲監は、国学を本学としながらも、広く西洋の学問を積極的に取り入れ、時代の先駆をなした。ここからは日本近代哲学の祖、西周や明治の文豪、森鴎外をはじめとする多くの人材が輩出されている。
現在、建物としては武術道場と書庫がその姿を残し、うち剣道場は津和野町民俗資料館として利用されている。 |
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| 殿町通りを代表する大岡門。 門内には現在の役場がある。職員の須川さんにいろいろ教えていただいた。 |
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| 剣道場は現在 民俗資料館となっている。 |
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| 旧藩校の養老館。 西周、森鴎外もここで学んだ。 |
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| 殿町にて 津和野美人は何を想う。 |
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