街をめぐる
鍵曲・口羽家住宅
萩市大字堀内
開館時間 9:00〜17:00
見学自由
連絡先0838-25-3139(萩市観光課)
●まぁーるバス西回りミドリヤファーム入口・メディカルポート萩入口下車徒歩5分
 
下町の構造は合理的である。
萩城外堀の外側に広がった街筋には、町人や中・下級武士たちの住まいがあり、堀の内側には、上級武士の屋敷が集まっていた。その武家屋敷群の周辺は、進入した敵を迷わせ、あるいは追い詰めるための工夫があちこちに見られる。
その一つが、鍵曲(かいまがり)である。左右を高い土塀で囲み、道を鍵の手に曲げて見通しをきかないようにした、いわば迷路で「追廻し筋」とも呼ばれる。現在では、堀内や平安古地区にみられ、一帯は重要伝統的保存地区に指定されている。
剥げ落ちた土塀が歴史の盛衰を物語る。
 その堀内の鍵曲は、今でもあえて未舗装のまま。まわりを囲んでいた武家屋敷の多くは今はなく、その広大な敷地は夏みかん畑に変わっている。明治維新後、録を失った士族の生活を支えるため、必要最小限の家屋以外は取り壊され、替わりに夏みかんが植えられたのである。主を失った土塀は自然に朽ち、崩れた土の間から、以前は屋敷内を飾ったであろうクスノキが姿を現していた。
夏みかんは萩の代名詞。
地元のひとは「ダイダイ」と呼ぶ。
鍵曲・口羽家住宅
 口羽家は上級武士のなかでも永代家老に次ぐ家柄で、その屋敷も堂々たるものである。

入母屋造り、本瓦葺の表門をくぐると、切妻造り、桟瓦葺屋根の主屋が現れる。主屋は棟通り前後に仕切られた6間取りで、座敷と奥座敷の間には、2畳の「相の間」が設けられている。「相の間」は、別名「武者隠し」と呼ばれているもので、主人の身辺を警護するために家来が身を隠していた場所。上級武士の邸宅ならではのつくりである。

 庭先から、橋本川の河口が見られた。見通しの悪い鍵曲の土塀沿いに歩いてきたためか、目の前に広がった思いもかけない景色にあっけに取られていると、案内をお願いした児玉さんが、萩の地理を丁寧に説明してくれた。
口羽家表門
出格子になまこ壁、萩に残る長屋門としては最も大きな規模を誇る。
ここには、昭和63年までその子孫の方が住んでいたという。それもあって保存状態もよく、現存する武家屋敷としてはその規模、古さともに有数で、国の重要文化財となっている。
「萩は阿武川河口に広がったデルタなんです。」
児玉さんは萩の地理、歴史にとても詳しい。
たまたま居合わせた口羽家の奥様と。
主屋の内部
前後の襖の間に見られるのが、いわゆる「武者隠し」。ここに身辺警護の家来が隠れたという。

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