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第5回 龍馬とお龍の「内祝言」

~龍馬とお龍の「内祝言」の場所に石碑を建てる~

特定非営利活動法人 京都龍馬会理事長 赤尾博章

本コラムの著者・赤尾氏と石碑

本コラムの著者・赤尾氏と石碑

元治元年(1864)8月1日 京都東山粟田 青蓮院塔頭金蔵寺にて龍馬(30歳)とお龍(24歳)は住職智息院の媒酌により内祝言を挙げました。
なぜか、このことは今までほとんど知られていませんでした。通説では慶応2年(1866)1月、伏見寺田屋で幕吏に襲われた後、西郷隆盛らに伴われ薩摩へ湯治に行きますが、その折、祝言を挙げ、新婚旅行にいったとされています。
明治32年(1899)から翌年にかけて、元海援隊士安岡金馬の三男 安岡秀峰が、西村松兵衛と再婚して横須賀にいたお龍から聞いた話をまとめ、「反魂香(はんごんこう)」「続反魂香」「維新の残夢」として雑誌「文庫」に連載をしました。「反魂香」のなかに次のような記載があります。

龍馬とお龍の「内祝言」~反魂香より~

「(元治元年)8月1日の夕方、坂本が帰ってきました。で、金蔵寺の住職智息院が仲人となって本堂で、内祝言をして、始めて新枕、幾千代までもと契りました。」
お龍自身が自分の祝言について語っていますから無視するわけには行きません。日付の覚え違いは無いとはいえませんがこの時期に祝言を挙げたことは間違いないでしょう。
元治元年(1864)6月5日には池田屋騒動が起こり、市中では浪人の詮議が厳しく行われていました。龍馬もゆっくり新婚生活を楽しんでいるわけにはゆきません。龍馬は、お龍と、当時金蔵寺に身を寄せていた、その家族を信頼できるところに託してゆきます。
「此処にうかうかして居て、敵に覚えられては互いの為によくないというので、種々相談の上、お貞(お龍の母)は杉坂の尼寺へ、大一郎(弟)は金蔵寺へ、君江(妹)は神戸に滞在の勝(海舟)へ、お龍は伏見の寺田屋へ、いずれも預けてしまいました。」

この内祝言から1年半後に伏見寺田屋事件が起こり龍馬とお龍は薩摩へ「新婚旅行」にゆきます。慶応2年(1866)3月初めから6月初めまでの薩摩で過ごした三ヶ月間は龍馬とお龍にとって、二人でゆっくりすごせたかけがえの無いときであったでしょう。疵が癒えると龍馬はまた各地を奔走します。 その後、龍馬とお龍の生活の拠点は、長崎から下関へと移り、二人で京都へ戻ることは二度とありませんでした。 

石碑除幕式の様子

石碑除幕式の様子

この、龍馬とお龍の「結婚式場」跡に京都龍馬会が石碑を建立しました。平成21年9月6日に除幕式が行われます。



坂本龍馬 お龍夫妻「結婚式場」跡

建碑場所 京都市東山区三条通白川橋東入五軒町 東山ユースホステル前
碑銘 坂本龍馬 お龍夫妻「結婚式場」跡
此付近 青蓮院塔頭金蔵寺跡
二〇〇九年九月 特定非営利活動法人京都龍馬会 建之

東山ユースホステル界隈

東山ユースホステル界隈

石碑解説

当地は青蓮院の旧境内で、その塔頭金蔵寺跡です。
  元治元年(1864)8月初旬、当地本堂で、坂本龍馬と妻お龍(鞆)は「内祝言」、すなわち内々の結婚式をしました。
  龍馬とお龍(鞆)の出会いや「内祝言」の具体については、1889年(明治32)ごろに聴きとられた、彼女の回想に詳しい。お龍(鞆)は1906年まで生きていました。
  一般には、慶応2年(1866)1月の伏見寺田屋遭難のあと、西郷隆盛(あるいは中岡慎太郎など)の媒酌で二人は夫婦の契りを結んだようにいわれます。が、この話は根拠が薄く、他の史料との検討からお龍(鞆)の話こそ信用すべきだと思われます。

 この地が選ばれたのは、お龍(鞆)の亡父楢崎将作が青蓮院宮に仕えた医師であったためでしょう。その縁により金蔵寺住職智息院が仲人をつとめました。 当時は池田屋事件(6月)や禁門の変(7月)のおきたあとで、京都は物情騒然でした。しばらくして龍馬は、薩摩島津家から望まれ、対立した長州毛利家との和解に奔走します。龍馬は新婚生活を楽しむいとまもなく、お龍(鞆)を寺田屋などに託します。二人はながく別居夫婦だったのです。 当地を京都における龍馬とお龍(鞆)の重要史蹟として、ここに建碑します。

歴史地理研究者 中村武生


京都の「龍馬の足跡」を巡る旅はまだまだ続きます。
第5回にもご期待下さい。

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坂本龍馬 お龍夫妻「結婚式場」跡へのウォーキングルート

京都市東山区三条通白川橋東入五軒町112 京都 東山ユースホステル

  • 京阪本線「三条京阪」駅下車。三条通りを東へ徒歩約20分
  • 京阪京津線/地下鉄東西線「東山」駅下車。三条通を東へ5分

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