TOP  > 京都を知る・学ぶ  > 源氏物語発見  > 第九話  浮舟の行方

源氏物語発見

薫は浮舟を手に入れ、予定通り宇治に彼女を置いた。大君の人形(ひとがた)である。このことを知った匂宮は宇治に行き、強引に浮舟に逢う。壮絶な三角関係の開始である。匂宮は、かねて浮舟を知っていた。彼は自分の妻・中君と薫の仲を疑っていたから、その復讐の意味もあったのである。が、実際に逢ってみると浮舟の魅力に、身も世もあらぬ仕儀となる。二人で夜川をわたり、向こう岸の小さな家で二日間を過ごすシーンは、いかなフランス映画もかなわぬ描写力である。浮舟が匂宮の虜になったのもいたしかたなかろう。
薫がこのことを知る。彼は浮舟に詰問の手紙を出し、宇治の荘園の荒くれ者を使って浮舟の家を守らせる。やってきた匂宮は、鉄壁の防御になすすべもなく、犬に吠えられて帰るという一幕もある。進退きわまった浮舟は、薫の手紙を身に覚えがない手紙としそのまま返す。そして母と匂宮には最後の一筆をしたため、死を決意するのだった。宇治川にむかい屠所に行く羊のように歩きだす彼女は、もう人形ではなかった。

源氏物語発見第九話イメージ写真

行方不明となった浮舟。周囲の人は入水したと信じ、火葬の真似事をして世間を取り繕った。匂宮は瀕死の悲しみにくれるが、いつしか日常に立ち返り、浮舟を忘れてゆく。薫も同じく世俗にまみれてゆくが、浮舟の遺族の面倒をみてやるところが彼らしい。
さて、浮舟は大きな木の下で気を失っているところを、通りかかった横川僧都(よかわのそうず)に助けられ、比叡山の麓、小野の地で僧都の妹尼、その老母と暮らすこととなる。この横川僧都は、紫式部の時代の最高の宗教人であった恵心僧都源信(えしんそうずげんしん)に露骨に似せて描かれている。六十数歳という年齢設定もスリリング。紫式部が源氏物語を書いている頃の、源信の年齢と一緒だからである。
僧都は、浮舟に取り憑いていた物の怪を落とし、彼女の願いを受け入れ出家させている。白楽天の「陵園妾」の一節を引用し世の無常を語り、自分のもとで仏道に励め、自分が君を守ってあげると見得を切っている。何とも頼もしい。物の怪が落ち、出家した後の浮舟は以前の浮舟ではない。その変わりようは、以前の浮舟は物の怪だと言わんばかり。匂宮は慙愧(ざんき)の対象となり、薫の静かな愛を評価している。が、どちらももう過去のことだと思う。碁が強いという記事は、彼女の人間力の強さの表示。今は法華経などを読み、日々道心を着実に深めている。

しかし、僧都である。宮中に行き加持祈祷をし、女一宮の物の怪を見事退散させた後、宇治での不思議な一件を明石中宮の前で問わず語りしてしまう。軽率である。浮舟事件は中宮承知の事件であったから、この中宮ルートで薫に伝わってしまう。真相を究明すべく、薫は浮舟の弟・小君を連れて比叡山に登り、横川を訪問する。驚いた僧都は、薫の迫力にたじたじとなり、浮舟に手紙を出す。「還俗し、薫君のもとに帰りなさい」。なんたる腰砕け。先日の大見得は何処にいったのか。紫式部は当代最高の宗教人の世俗性を語って余すところがない。
薫は自分の手紙を小君にもたせて、小野にやる。が、浮舟は薫の手紙は受けとったものの、人違いであるという姿勢を頑強に貫いた。むなしく帰って来た小君の報告を聞いた薫は、「男がいるのでは」と思う。ここで、源氏物語は突然終わる。さて、これからどうなるか、あとは予測あるのみだ。
浮舟よ。こんなつまらぬことを考える薫のもとに帰るな。僧都もあてにするな。君は「陵園妾」(墓守)になり、祈れ。この源氏物語という巨大な墓に眠るすべての人々の永世を祈り続けたまえ。これが君のミッションである。という紫式部の強い声が聞こえてくるような、そんな気がする終わり方である。


 


ゆかりの地へのアクセス

横川に行くには車が便利。湖西道路「仰木インター」を出て西走、奥比叡ドライブウェイを少し走れば横川である。15分くらいで着いてしまう。これが電車なら、JR湖西線比叡山坂本駅下車、バスがなければ西に歩いて30分、比叡山坂本駅でケーブルに乗る。10分ぐらいで「ケーブル延暦寺」に到着。そこからさらに10分歩いて延暦寺バスセンターに行き、シャトルバスに揺られること10分。ようやく元三大師と恵心僧都の横川に着くことになる。何せ天下の比叡山、信仰の山だ。泣き言をいっていたら罰が当たろう。源氏物語の昔、薫は京都側から根本中堂に登り、そこに一泊してから翌日横川に行った。並大抵の苦労ではなかったはずである。今、根本中堂から横川まで歩く人はいないだろうが、もし歩いたら二時間くらいかかる。


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