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源氏物語発見

 空蝉(うつせみ)は受領(ずりょう)の妻である。受領とは地方官のことで、貴族とはいえ身分は低い。 彼女は、元々相当の身分の人で、天皇の妃となるはずの女性であった。が、父親が死んで、一挙に勢力を失う。 入内の夢も破れ、現在の境遇に甘んじている。夫は伊予介(いよのすけ)で、光源氏の恩顧を受けている男。老いているが日焼けし首太くたくましい。 得た空蝉を掌中の珠とし全身全霊で「二心なく」愛しているのだけれども、彼女には、その愛がうとましい。

 といった状況の中、たまたまか意図的か不明であるが、彼女が身を寄せていた中川の宿に、方違え(かたたがえ)にやって来た光源氏に踏み込まれる。 この時、彼女は「際(きわ)は際」と強く言ったが、光源氏は意に介さなかった。「際」とは身分のことで、私は貴方の世界の人間ではない、という意味である。 光源氏の行動は違っていて、貴女は私の世界の人であると言っているに等しい。光源氏の行為は、空蝉の心の奥底を激しく揺り動かしたのであるけれども、 彼女は受領の妻であるという屈辱の現実を変更しようとはしなかった。娘時代に何故光源氏に逢えなかったのか。逢えたら一年に一度の七夕にでもなったのに。 時と運命を心底恨みつつも、以後、厳しく光源氏を拒む。

源氏物語発見第二話イメージ写真
 光源氏は、その後二度やって来ている。彼女の弟の小君(こぎみ)を味方にして、遣水(やりみず)の涼しい中川の宿を訪れる。 絶対秘密のスリリングでスキャンダラスな真夏の夜の行動。一度は、渡殿の女房達の中に身を隠し、二度は近づく気配を察し、寸前で衣装を抜けだし下着で逃げた。 「空蝉」(蝉の脱け殻の意味)と呼ばれるゆえんである。二度目の拒否は、「空蝉巻」という短い巻で強く語られている。 光源氏は業を煮やし、情に流されやすく従順な夕顔と出会ったこともあって、強情な空蝉に腹を立て、諦める。

空蝉の葉に置く露の木隠れて忍びしのびに濡るる袖かな

(空蝉の羽に置いた露は木の葉に隠れて見えません。私もあの蝉のように人知れず涙で袖を濡らしています。)

 むなしく独りこの歌を詠んだ空蝉の心の底。君知るや。やがて空蝉は、夫に連れられて任国伊予に去る。そしてその後、夫が常陸の介となると空蝉も付いて関東に行く。 そのころ光源氏は失脚、須磨明石に沈淪(ちんりん)していた。二人の距離はさらに開いたわけである。この光源氏暗黒時代に、 夫が大国である常陸の介になり出世しているということは、夫が光源氏を裏切ったということでもある。空蝉を愛してやまぬ老いた夫は、 光源氏に殉じて落魄する道を断乎として選ばなかったのだと想像される。彼は死ぬ時、この空蝉を守るために、この身は死んでも魂を残しておきたいと思った。 老いた夫の「二心なき愛」。空蝉もって瞑すべし、ではないか。
 光源氏が政界に復帰し、石山寺にお礼参りにゆく。同じころ常陸から京に帰る空蝉一行と逢坂山の関所で出会う。紅葉の美しい「関屋」。短いが印象的な巻だ。 「関迎えに来ました」とわざとらしい冗談を光源氏は言い、一行の中にいた昔の小君を呼び出し久闊を叙する。このあたりの光源氏の遣り口は、嫌味ったらしい。 言葉に「変わる心」をつかった者たちへの棘(とげ)がある。が、空蝉には、忸怩たる思いがあった。自分の心は、流れて絶えないこの関のこの清水のように、 昔も今も光源氏にあったのに。この心、君知らず。
 夫に先立たれた後、空蝉は義理の息子の下心を知り、出家する。その空蝉を光源氏は自邸別院に引き取り、生涯世話をした。 彼は空蝉の心を知っていたのだろうし、それよりも何よりも、彼女がいるべき本来の世界に彼女を救いとったのだと思う。

 なお、中川の宿は、紫式部が住んでいたあたり。空蝉には作者の面影があるとよく言われる。その作者、空蝉のことを、目が腫れ鼻が低い女だと書いている。


 
 
ゆかりの地へのアクセス

中川の宿は、梨木神社や盧山寺のあるあたり。京都御苑の東側清和院御門の前。特に盧山寺は、紫式部の邸宅があった地点と考証されている。 源氏の庭も作られ、祇園祭りの頃、桔梗が美しく咲く。萩の美しい梨木神社は明治18年の創建、盧山寺は織田信長の頃この地に移って来た。 共に、紫式部の頃からここに存在する寺社ではない。里内裏である京都御所とて同じことだ。 中川の宿への交通アクセスは、河原町通りを走る市バスに乗り「府立医大病院前」で降り、京都御所の方へ行けばよい。 京阪電車は出町柳と丸太町のどちらからでも行けるが、20分は優にかかる。


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