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名園を有する料理旅館 | |||||||||||||||||||||||
優雅な姿の騎牛門をくぐると、約800坪の庭園が拡がり、数奇屋造りの座敷が点在し、川岸の壮大な自然の緑と融合する素晴らしい風情と歴史をかもしだしている。この辺りまで来ると町の繁華街とは温度が2度ほど低く、空気も澄み、心清らかな気持ちになる。 創業は、天正年間(安土桃山時代1576年)、今から420年前、鯖街道の名で知られる若狭街道の街道茶屋としてはじまった。店名の「山ばな」とは「山の端」という地名から、「平八」は初代当主の名前からとったもので、あわせて「山ばな平八茶屋」という。現在の当主は20代目園部平八を襲名している。そして当主は必ず自らが修行を積み、調理場に入るという。「一子相伝」を貫いている。最上のもてなしをする仲居さんは大原女装束姿で京の情緒にあふれたお店である。 |
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お料理の歴史 | |||||||||||||||||||||||
「若狭懐石」は、日本海で取れる魚を中心とした懐石料理。塩をしてまる一夜たつとちょうどいい按配に塩がなじんだ鯖や若狭ぐじを食することができる。 「清流懐石」は、季節の川魚を中心に料理をした懐石料理である。明治に入り、鉄道が敷かれたことにより今までのような若狭の魚が手に入りにくくなり、その時代の当主が高野川の豊富な川魚を料理し、客に供したことに始まる。 そして「山ばな平八茶屋」の名物「麦飯とろろ」。丹波からやってくる行商から手に入れた"つくねいも"をすって、近江の麦飯にかけたものを旅人にもてなしたということが江戸時代の「拾遺都名所図会」に「麦飯茶屋」として描かれている。現在も「麦飯とろろ膳」としてお昼の料理として楽しむことができる。 |
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「若狭懐石」 | |||||||||||||||||||||||
今回の料理は、「若狭懐石」を賞味する。鱧の子の塩辛にはじまり、向付には、日本海から塩をしてちょうどよい塩梅の「ぐじの細造り、あしらい一式」を二杯酢で食する。煮物は、すずきの庄内麩巻、枝豆真蒸を上品なすまし汁でいただく。それぞれの素材の舌触り、上品な風味がじっくりと感じられる。八寸、そして鮎の塩焼きが運ばれる。小鉢の次は、あわびの酢物である。涼しげなガラスの器にうっすら塩加減のつゆに浮かぶ、あわび、胡瓜、独活、チェリーを生姜の酢に付けて食す。色とりどりの美しさが食欲をそそり、つゆが素材の持ち味を引き立てる。茄子の田楽、鱧蓮根蒸しを食したあとには、名物の「麦飯とろろ」を楽しむ。麦飯の歯ごたえと、つくねいものとろろのさらっとした舌触りが融合し、するするとのどを過ぎていく。なんとなく懐かしい味であるが、栄養と消化という生活の智恵を、新鮮な気持ちで味わえる一品である。そしてデザートのトロロアイスクリームをいただいたが、予想に反してあっさりして大変美味であった。 座敷は全て離れにあり、自然の中で川のせせらぎを聞きながら、おいしい空気の中での食事は、よりいっそう料理の味を引き立てる。二間続きになっている座敷では、1日4組限り宿泊もできる。ぜひ「山ばな平八茶屋」自慢の「かま風呂」を楽しめる、宿泊をお勧めしたい。 |
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【地図】
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京都のグルメ「食べる」
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