コロナ対策のため人数制限しながら本堂内一般参拝のみ受付いたします。
織田信長の遺骸の行方に諸説あるが「寺町・阿弥陀寺」は、大正6年勅使来訪織田信長公正一位階追陞、「織田信長公本廟」として公認された寺。「信長忌」の法要に合わせ、普段非公開の本堂内・寺宝が公開され(通常は境内のみ参拝可)、御本尊や天井絵をはじめ、信長公木像・位牌や同織田家中討死衆合祀位牌、信長が本能寺にて使用した槍先、明智光秀や木下藤吉郎(豊臣秀吉)の書状等の寺宝が参拝できる(本堂内は撮影厳禁)。開山清玉上人は、織田家で育ち、その庇護にて僧となり、信長は京における織田家菩提寺として阿弥陀寺を整備し、また、正親町帝の信頼篤く、東大寺再建の勧進職に任じられた高僧。天正10年6月2日(本能寺の変)の際は、本能寺に駆けつけるが時遅く、信長公は自刃され、森蘭丸はじめ近習の武士に遺骸を託され、阿弥陀寺に運ぶ。同日明智光秀に会い、本能寺・二条城にて討死の100余名の供養を申し出、許可され、遺骸を運び、共に供養・埋葬したと伝わる。境内墓所に、信長公・信忠公等織田一族をはじめ、森蘭丸等、本能寺・二条城において討死した織田家臣の暮石・供養塔が並び祀られている。