玉水焼は樂家四代一入の庶子・一元(1662 〜1722)が山城国玉水村(現在の京都府綴喜郡井手町玉水)において開いた楽焼窯である。開窯は元禄年間と考えられている。楽焼窯は、加賀・大樋焼をはじめとする脇窯が、時代の経過と共に各地で開窯、その中で玉水焼は唯一、樂家の血筋を受けた窯である。しかし、一元のあと継いだ長男一空は若くして亡くなり、次男任土斎が三代を継いだが、任土斎は結婚をせず、従って一入から繋がる樂家の血筋は三代で絶えてしまう。その後は一元の時から手伝いをした伊縫家甚兵衛(楽翁)が四代を継ぎ、八代まで数えましたが明治に入って廃窯となった。
玉水焼の歴史は不明な部分が多く、特に楽翁以後の「後・玉水焼」では取り上げるべき内容も乏しく、作者の確定も難しい状況である。従って本展では、「後・玉水焼」はひとまず置き、一元から三代任土斎までをとらえて、「玉水焼 三代」として開催。玉水焼を取り上げるのは本展が初めてとなる画期的な意味を持つ展覧会である。