フレンドピースハウス(FRIEND PEACE HOUSE)は、1936年(昭和11)にフレンドピース奨学金制度の設立者であるハワイのセオドア・リチャーズ(Theodore Richards)夫妻が同志社病院長を務めたジョン・C・ベリー(John Cuting Berry)が住んでいた教師館の土地の一部と建物を同志社から購入し、改修して設立された施設である。土地と建物は同志社に委託され、ディレクター(寮監)のもと、上記の奨学金制度により派遣された日系二世のフェロー(奨学生)と、同志社の日本人学生が共同生活を営む施設として始まった。
フレンドピースハウスは2018年(平成30)に解体された。それに伴い、本センターは建築部材や調度品の一部を資料として受け入れた。同時に、1920~40年代のフレンドピースハウス関係の文書資料の調査も進めてきた。本展は解体前のフレンドピースハウスの実像を伝えるとともに、フレンドピースハウス設立の経緯および草創期の歴史を辿る。