TOP  > 京都のグルメ情報  > 京菓子 京都の和菓子  > 植村義次

百味會

「御洲濱司」の暖簾を守り続ける

植村義次
葵祭に御神饌として供えられる銘菓「洲濱」

創業は明暦三年(一六五七)。創業時の屋号は「近江屋」で、初代・善兵衛は近江の出身であった。当初から御所の斜め向かいに店を構えており、長きにわたって「御洲濱司」の暖簾を守り抜いてきた。そして、大和郡山の公卿・植村家から、長年の功績が称えられ、植村の姓を賜ったと伝わっている。
植村義次は、京都で唯一「洲洛」を専門につくり続けてきた店である。洲浜という菓子の起源をたどると、鎌倉時代につくられたともいわれ、和菓子の中では本来スタンダードな部類に入る。水飴と砂糖、大豆の粉を練り合わせ、断面が、正月の蓬莱や婚礼儀式に使われる島台(洲浜台)の形になるように成形されているのが特徴だ。葵祭の際、下鴨神社の御神饌として数百年にわたって供えられ続けていることからも、評価の高さがうかがえよう。この他、洲濱の生地を、そら豆のような形にひねった「春日の豆」がある。植村義次では、長い間これら二種類の菓子だけをつくり続けてきたという。
そうしたなかで、現十四代目当主は、時代に合った洲浜生地の使い方も工夫している。その中のひとつが、白い正方形の落雁地に洲濱で四季折々の模様を描いた「押物」である。春には「春の山」、秋には敷紅葉などを象った洲濱が落雁を彩り、雅やかな菓子として人気を集めている。

洲浜の奥深さを感じながら

洲浜は、浅く炒った大豆の粉に麦牙飴の蜜を練り合わせて生地を作ります。飴の蜜は、有平を作るように煮詰めるのですが、詰めすぎると風味が飛んでしまい、水加減と同様に難しい作業です。先代からは「よく捏ねることが大切」と聞かされてきましたが、はじめの頃は、ただ混ぜれば良いと思っていました。恥ずかしいことですが、捏ねて練ることによって質が変化していくことを、後になって知ったのです。洲浜と呼ばれている生地は、もともと豆飴と言われ、飴に属する菓子であることを改めて考えさせられました。
洲浜という言葉は、平安時代に作られた言葉です。おめでたい蓬莱山を意味しますが、敢えて大和風には呼ばず、蓬莱の島の浜辺を指して洲浜と呼びました。当時の王朝人の奥ゆかしさが偲ばれる話であると思います。
最初は、飾り物の台として用いられてきました。後に、意匠として什物や衣装などにも洲浜模様が使われるようになり、また、大嘗会での天皇の御衣には、洲浜に竹の柄が織り込まれています。江戸時代になると、庶民の間でも洲浜柄が流行し、豆飴も生地を円筒形に伸ばし三方から竹竿で凹ませて洲浜型の断面となり、豆飴という呼び名もいつしか洲浜へと変わってしまいました。意匠や言葉の移り変わりを眺めても、おもしろい歴史を持つお菓子であると思っています。

   
創業◇明暦三年
商号◇植村義次
所在地◇京都市中京区丸太町通鳥丸西入ル
電話◇075-231-5028
ファクス◇075-231-085
営業時間◇午前9時半~午後6時
定休日◇日祝日
予約◇洲漬のみ前日までに要予約