昔ながらの製法にこだわる和菓子の老舗 |
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天台僧が考案した、茶人好みの真盛豆
幕末の激動のなかで京が再び政治の舞台に登場し、世の中が沸騰しはじめていた文久元年(一八六一)の創業。名物の真盛豆は、その創業当時からつくり続けられてきた豆菓子である。黒豆の炒ったものを芯にして、きな粉ほどにはよく炒らない大豆の粉と砂糖を合わせてまぶし、丸めて上から青のり粉をかけたもの。素朴にして上品な味わいがある。 ただし、この真盛豆の謂われはさらに古い。明応年間(一四九二~)というから、戦国乱世がはじまってまもなくの頃、天台宗の慈攝大師という高僧が考案したものと伝承されている。北野の大茶会のおりには太閤・豊臣秀吉もこれを食し、茶事にあった豆菓子として激賛したと伝えられている。このせいか、今日でも茶人に好まれているようだ。 その技法は初代の頃から大きくは変化しておらず、手づくりによる伝統的な豆菓子のままといえる。また、湿気の多い季節は砂糖が蒸れるので、現在でも夏場はつくっていない。そのこだわりは、ある意味で徹底している。根強い愛好家がいるのもうなづける。 その真盛豆に次いで知られているのが、洛北という焼き菓子。ザラメが入って独持の風味があり、歯ごたえもある。黒砂糖餡と白餡の二種類があり、おつな味がして、お酒のあとの口直しとしても喜ばれている。 |
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同じものをつくり続けることの誇り 時代の移り変わりのなかで、人びとの好みが変化するのは仕方のないことですが、そうした世の中で変わることのない味もお楽しみいただきたいと存じます。当店では、何世紀、何世代にもわたって同じものをつくり続けていることに誇りすら感じております。家伝の真盛豆はもちろんのこと、洛北の製法も昔ながらのものであり、「変わったことといえば紙に包むようになっただけ」といわれています。 そして、そうした伝統の菓子が、京の人びとを中心に愛され、現在までも残り続けてきたことは、当店にとってもうれしい次第です。とくにお茶人や文化人、芸術家などの好評をいただき、さらにお客さまの層はいまも広く、さまぎまな方がたが来店なさいます。そのことを励みに、私どもも日夜精進いたしております。 しかし、昔ながらの製法を踏襲しております関係から、商品にはどうしても限りがあります。大量生産できるものではありませんので、お買い求めの際にはご予約いただけると幸いです。 |
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商品のご紹介 |
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