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百味會

西本願寺の歴史とともに歩んできた菓匠

亀屋陸奥
戦国時代の嵐の中で兵糧として生まれた「松風」

応永二十八年(一四二一)年に創業した亀屋陸奥は、浄土真宗中興の祖といわれる蓮如上人に仕え、以来、本願寺の供物調達や慶事にかかわる諸事を取り仕切る役目を担うようになったという。
元亀元年(一五七〇)、本願寺十一世顕如の時代。天下統一のため一向一揆のの制圧を目論んだ織田信長は、一向宗(浄土真宗)の本拠地石山本願寺を攻め、以後十一年間にも及ぶ武力対決が始まった。合戦が長引くにつれ、信長は寺の周囲を厳重に包囲して糧道を遮断するようになり、本願寺内では糧米の確保が困難となっていった。こうした状況下、三代目当主の大塚治右衛門春近は、小麦粉を練り麦芽飴と自味噌を混ぜて焼き上げた菓子を創出し、顕如をはじめ門徒たちはこれを食して籠城戦を戦い抜いたと伝わっている。
合戦後の苦しい時代を乗り越え、天正十九年(一五九一)に本願寺は京都の六条堀川の地に落ち着いた。大塚家も境内に土地を与えられ、供物の調達や菓子の製造に専念できるようになった。そんなある夜、顕如は、籠城時に春近がつくった菓子をしみじみと味わいながら、「わすれては波のおとかとおもうなり枕に近き庭の松風」と歌を一首詠んだ。以来、この菓子は「松風」と名づけられ、江戸期から現在に至るまで西本願寺の御用菓子に採用されるとともに、京銘菓として多くの人々から愛され続けているのである。

西本願寺御用達の老舗として、京銘菓の滋味を守る

現在の「松風」は、戦国時代に考案されたときよりも、さらに洗練された味になっていると思います。製法をご紹介すると、まず、小麦粉に砂糖、麦芽、白味噌を練り込み、一晩寝かせて自然発酵させます。次に、直径五〇センチメートルの平らな一文字鍋で円形に焼き上げ、網に乗せて冷ましてから短冊形に切ります。表面にふりかけているのはケシの実で、これにより風味がいっそう引き立てられているといえるでしょう。
当家は、現在も西本願寺への御供物の調達を家業としており、特に親鸞上人の報恩講の法要が行なわれる一月にはたいへんな忙しさとなります。報恩講に納める御供物は「御華束」といって、円筒形に巻いた麦藁に、串に刺した様々な菓子類をびっしりと盛り付けており、一つの御華束の大きさは直径が約六〇センチメートル、高さは約一・五メートルという豪華なものです。当店は、西本願寺御用達の家が集まった開明社という組織に参加していますが、これからも、西本願寺のお役に立てるよう努力し続けるとともに、松風をはじめとする菓子の美味しさを堅実に守っていきたいと思います。 」

   
創業◇応永二十八年(1421年)
商号◇株式会社亀屋陸奥
所在地◇京都市下京区西中筋通七条上ル菱屋町153
電話◇075-371-1447
ファクス◇075-351-3301
営業時間◇午前8時半~午後5時
定休日◇水曜日