旧習家として歩む京の老舗の心意気 |
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菓子司、御用蕎麦司として 五百三十余年の伝統を刻む 本家・尾張屋は室町時代後期にあたる寛正六(一四六五)年、公家の招聘により尾張の国から京都に移り、御所出入りの菓子司として創業した。「そば」を扱うようになったのは、当時、御所や寺院からの麺類の注文が、菓子司を通して行われるのが通例であったため。江戸時代に入ると、尾張屋は御用蕎麦司を務めるようになり、宮中へそばをつくりに出向くことも多くなった。こうした経緯を経て、江戸時代中期頃からは「そば」を専門に商うようになった。 その後、明治になり創業の精神が新たに見直され、そば粉を原料とした菓子が作られるようになった。このころ開発されたのが、銘菓「そば餅」である。 そばが麺料理として食べられるようになる以前、そば粉は団子状にして焚火で焼かれ、そば餅として食されていた。この呼び名を取り入れた「そば餅」は、そば粉をたっぷり使った上皮でこしあんを包み、天火焼き上げた上品な味わいの饅頭である。 そば餅は、発売当初より京の人々の間でたいへんな人気を集めた。大正に入りそば餅を一個づつ包装して販売するサービスを、他に先駆けて始めたところ、衛生的であることから、さらに評判が高まったという。 |
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大量生産に走らず、老舗の味と風流を維持 創業以来五百三十余年にわたり、尾張屋は「寡産主義の旧習家」であり続けることを旨としてまいりました。つまり、古き良き習わしを大切にしながら、伝統の味が守れる範囲での生産量を堅持し、これを適正な価格で提供していく姿勢を貫いているのです。守るべき味を犠牲にしてまで大量生産を行い、いたずらに利益を求めるのは、京の老舗の歩むべき道ではないと私は信じます。 もちろん、蕎麦はあくまでも手軽な食事であるべきで、私どもはできるかぎりお安く提供するように努めています。それでも、決して手を抜いたり素材の質を落とすことなく、毎日挽きたてのそば粉を使い、打ちたてのそばを、注文を承ってからゆがくという昔乍らの方針を頑固に守っているのです。 そうした中で、京野菜を取り入れた「京野菜天ざる」「京野菜ざる」など、時代に合ったメニューの開発や、あるいは設備の近代化といった問題にも、前向きに取り組んでいます。数寄屋造りの味わいを残しながら、空調設備や厨房、洗面所などを新しく衛生面を配慮し、積極的に改造はしています。そうしてでも五百年以上続いた京の老舗として、その情趣ある雰囲気と伝統の味は後世に残していかなければならない、と私は考えています。 |
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商品のご紹介 「宝来そば」 主人創案の名物そば。昔からそばは、大変縁起の良い食品とされていて、そばを一名蓬莱ともいう所から「宝来そば」と名付けました。だしは、利尻昆布と尾張屋が吟味調合した節をたっぷり使った特製だし。お店では、京漆器の象彦製のわりごに盛り分けたそばを、京風に趣向をこらした薬味で、一椀ごとに違った風味をお楽しみいただけます。 「そば餅・そば板」 そば餅は、上質の北海道産小豆でつくったこしあんを、そば粉たっぷりの上皮で包み、天火で焼き上げたそば饅頭です。そば板は、手打ちそばの技法で、薄く伸ばした生地を一文字釜で一枚一枚丹念に手焼しています。そば粉をたっぷり使って甘味を抑えてありますので、そばの香りを存分にお楽しみいただけます。 京の町で育まれた本家尾張屋伝統の味。おみやげやご贈答に、またご家庭でも老舗の味をお楽しみください。 |
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