料理の原点を追い求める料亭の姿勢とは |
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川魚料理の専門店として発展して 創業は江戸時代中期の享保年間(一七一六)。出羽地方の名門、秋田佐竹氏の流れをくむ佐竹十郎兵衛が、三条大橋のたもとに腰掛茶屋を出したのがはじまり。三条大橋といえば東海道五十三次の終点で、各地からの旅人たちで賑わっていたが、そういう人たちをもてなす場として開かれたのだろう。 やがて京都御所司代からの認可を得て、川魚生州八軒の内の一軒として、川魚料理専門店へと発展していく。そして、初代が美濃の大垣出身だたことから、代々の当主は美濃屋吉兵衛を名乗り、京の人たちはそれを縮めて美濃吉を呼ぶようになって、次第にそれが屋号として定着する。江戸末期の京の料理屋番付「花の都料理屋繁栄競」では上位に位置し、明治初期に発行された名商案内「京都有名三幅對」でもうなぎ料理の名店、第一位として紹介されている。「美濃吉つぁーん」「へえーい」というCMは、このころ実際に鴨川えお隔てて、先斗町のお茶屋さんから、美濃吉に声をかえて注文をしていた日常を再現したもの。 戦後、現在の本店がある栗田口で店を再開し、昭和三十三年には株式会社に改組して、高級料亭からファミリー・レストランまで幅広く、全国に企業展開をみせている。 その本店は竹茂楼と呼ばれている。一年半もの期間をかけた新築工事によって平成四年にオープンした。二階建ての数奇屋造りの本館とお茶室、富山県の五箇山から移築した合掌館があり、周囲に配されたせせらぎや竹林の風情とも調和して、旬の食材ともどもみごとに季節感を満喫させてくれる。 |
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京料理の原点といえば、やはり京野菜 |
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京都のグルメ「食べる」
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京都のグルメ「呑む」