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祇園料理

「鳥居本」
とりいもと
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■営業時間

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■おすすめ料理




京都市東山区祇園町南側570~8
075~525~2810
【昼】 12:00PM~ 2:00PM
【夜】  5:30PM~ 8:00PM
毎月曜日・第二、最終日曜の夜
おまかせ(懐石風)、ミニ懐石 8,400円(税込)~
点心有楽 7,350円(税込)
(夜)懐石・祇園料理 18,900円(税込)~
カウンター席 おまかせ 18,900円(税込)~
*別途サービス料

心の静けさを引き出す水琴窟
京都・鳥居本 四条花見小路の交差点。そこは多くの人で賑わう、祇園の真中である。昼間は八坂さんへの詣で(もうで)客を筆頭に、祇園を感じようとする全国からの観光客が訪れ、一種雑踏の様相を呈することもある。また夜となると、接待族を含んだ酔客があるいは咆哮(ほうこう)し、あるいはそそくさと、馴染みの飲み屋を渡り歩く。
 その南角、市民に「一力さん」と親しみを込めて呼ばれるお茶屋、「一力亭」を左に見ながら下がって行くと、東西の通りを中心に本来祇園はこうであったと首肯できる上品な家並みが広がっている。
 そんな一筋に「鳥居本」はある。
 まずは表の格子から奥へと続く石畳が、京の料亭の奥床しさを十二分に引き立てる役目を果たしている。来意を告げて玄関を上がろうとすると、ふとどこからか水琴窟(すいきんくつ)に水がしたたる音が漏れてくる。思わず靴脱ぎに立ち止まったまま、しばらく玄妙な音色に聞き惚れる。知らずと心が洗われていくのがわかる。これから静かな気分で料理を食するための演出としては、まことに恐れ入るものだ。
 水琴窟は洞水門とも呼ばれ、江戸時代中期ごろより庄屋の書院縁先に置かれた手水鉢(ちょうずばち)の排水設備に端を発するものである。古来雅人は、茶室のつくばいなどから地中に埋めた甕(かめ)に水をしたたらせ、その音色を楽しんだという。
 鳥居本は、五代篤次郎のときに茶人・織田有楽斉の築庭跡を譲り受け現在に至ると聞くから、なるほどこのような風雅な仕掛けがあっても、それが気取っているというわけではなく、むしろごく自然な風格をもって屋敷に溶け込んでいると感じられる。
 玄関よりさらに奥には、美しい庭園が広がっていることも言い添えておかなければならない。
遥か享保の頃、中国をルーツに持つ大椀料理を創案
京都・鳥居本
水琴窟のある玄関。玄妙な音色に思わず聞き惚れてしまう。
 鳥居本の味は、「祇園料理」と称する独特のものだ。「祇園料理」と聞いただけでは、味わったことのない者にとっては甚だわかりづらいものである。
 その昔、中国料理が長崎に伝来し、それが卓袱(しっぽく)料理と呼ばれる独自の食文化へと進化した。卓袱は一つの卓、一つの大皿に盛られたものを、皆で取り分けて食する料理である。元来日本ではこのような習慣はなく、各自が各々の膳のものを食べる風習だった。つまり現今のすき焼きやなべ料理は日本古来のスタイルではなく、貿易港としての長崎に伝来した大陸やら西欧の文化が、独自の様式に発展していった結果ではないだろうか。もちろん卓袱もその一つだ。
 鳥居本は、その卓袱料理を京風に改良して食べさせる店として、享保年間に初代・田畑與兵衛によって創業された。「鳥居本」の名前は、創業当初、京の守護神・八坂神社の鳥居の近くに店を構えたことに由来する。「祇園料理」という名は、長い年月をかけて歴代が工夫を凝らし、祇園の名にふさわしく洗練されていった結果、誰言うとなくそう呼ぶようになったもののようだ。
 しかし鳥居本は今日でも創業以来の形式を決して崩すことなく、「総菜」、「大菜」、「小菜」という呼び名を守り続けている。一つの卓を囲んで各自が取り分けて食べる卓袱料理に対して、祇園料理では各自が膳立てした大皿の料理を食べる。確かに日本の都、京で進化したと思える風合いを今に伝えている。
素材の旨みを活かした心づくしの味

京都・鳥居本
まさに絶品の粕汁。鳥居本の計算されつくした味を賞味できる。



京都・鳥居本 御吸い物を「総菜」、前菜や刺身を「大菜」、揚物や精進物を「小菜」などと呼び、それぞれに味わい豊かな料理の数々。

 さてお膳に移るとする。そこには、目にするだけで嬉しくなってしまうような品々が並ぶ。酒はよく冷えた「松竹梅<焙炒造り>」。輪郭のはっきりした端麗辛口が爽やかで、口腹の楽しみを倍増させるに充分である。
 最初に味わった海苔巻き餅は、一見どこにでもあるふうだが、ひとくち頬張ると、厳選された海苔の風味と程よく焼かれた上品な餅の香ばしさが口中に広がってゆき、餅ひとつにしてこれかと感心する。ははぁ名に違わずタダモノの仕事ではないなと、深く納得してしまう。
 次に食したのれそれ(アナゴの稚魚)が面白い。添えられたケチャップに瞬間たじろぐものの、口に入れてみると、素晴らしくイキの良い稚魚にピリッと辛いケチャップが絶妙な出逢いを見せ、その旨さに逆にたじろいでしまう。半透明な「のれそれ」のプリプリと締まった身に、ケチャップの赤が目にも楽しい。
 さらにはまぐりと土筆(つくし)のぬたは、お互いの素材がお互いを引き立て合い、遥か忘れかけていた懐かしい仲春の香りが鼻腔をくすぐる。左党にはこたえられない逸品と言えよう。蛤貝を器とするあたり、古人の雅な遊び、「貝あわせ」を連想させてくれて楽しい。思わず箸を運ぶ手が進む。
 海老のすり身を入れた粕汁も、そこいらの粕汁とはわけが違う。極上の酒粕と、これまた極上の味噌がこの上なく上品な薫りを立ち昇らせる中に、丁寧な仕事ですり身にされた海老が各素材を殺すことなく主役の座に収まっている。濃いも薄いもありはせず、「ちょうど」という一言に尽くせるほど計算された椀である。
 造りはあぶらめ(アイナメ)烏賊(いか)。芽葱と岩海苔を添えて食する。あぶらめは磯の高級魚として知られ、刺し身にして良し、煮付けにして良し、揚げて良しの、捌きかたによってけなげに変幻自在な表情を見せてくれる魚だ。これをどう料るかは、それこそ職人の腕次第と言える。ここ鳥居本のあぶらめ造りは、小味の良く行き届いた身がきゅっと締まっており、深い部分の仄かな甘味が、薬味の持つ香りをうまく呼び込んでくれる。いや、あぶらめだけを贔屓(ひいき)にするつもりは決してなく、可愛い芽葱が爽やかな後味を残し、鯛も烏賊も申し分ない。杯を重ねることが楽しくなる秀逸な出来である。
京都・鳥居本
 このあとも一つ一つ挙げていたらきりがないくらい旨いものが登場し、記者はすっかり堪能して、腹ごなしには帰り道を四条烏丸まで歩くしかないと心に決めた。

 女将の田畑さんは、NHKの朝の連続テレビドラマ「私の青空」で主役を演じていた田畑智子さんのお母さんである。どうりで美しいと思ったら、そういうことか。旨い酒に、腕の良い料理人、別嬪の女将、落ち着いた座敷、何もかもいいことづくめではないか。良い料亭だという評判は聞いていたものの、老舗「鳥居本」がここまで素晴らしいのを、記者はうかつにして今まで知らなかった。堪能と反省を交互に繰り返しつつ家路につくことにする。

【地図】
京都・鳥居本