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歴史を刻む木屋町あたり | ||||||||||||||||||||||||
荒神橋近くから鴨川の水を取り入れ、河原敷を流れるみそそぎ川。しばらく暗渠(あんきょ)として流れたあと二条あたりから一部水を分け、市中へ向けて流れていくほうが高瀬川になる。角倉了以に開削された高瀬川の界隈は木材や柴・薪を扱う「木へん」の商売が集中し木屋町と呼ばれるようになった。続いて酒屋、油屋、醤油屋と賑わっていく。人の集まるところ旅籠屋、貸座敷なども軒を連ねるようになり、幕末の頃ともなると志士たちが出入りし、密会を重ね、謀議を巡らしたのである。 |
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女将が守り続けるもの | ||||||||||||||||||||||||
「さつき」は昭和36年5月に開業した。5月なので「さつき」。創業以来細腕を振るう女将は柴田冽子さんである。多種多様な料理が溢れるなか、女将は京都ならではの伝統的な会席料理を続けることにこだわっている。何十年来かわいがってくれる客には変わらぬ味を、新しい客には噂に違わない味を提供する精進こそ、客へのもてなしと考えるからだ。女将が守り続けてきたものは、長年にわたる客との信頼関係を繋ぐものなのだ。
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床のたのしみ | ||||||||||||||||||||||||
「さつき」では五月から九月末まで納涼床をだす。この時期以外は和風カウンター、もしくは二階のお座敷でゆったりと、その季節のお料理を堪能できる。 すず風の吹く宵、七時を過ぎてもまだ陽の残る床にくりだした。鴨川の水かさはカラ梅雨の影響か少ない。青い東山を眺めながら料理を待つのもオツなものだ。ほどなく女将が来てくれた。女将はどの席にも挨拶にまわるのだが、座敷のように壁がないので各席をゆく女将の表情にそれぞれとの長いつきあいが垣間見える。 本日の「納涼床料理」はつぎのようだ。 先付に「青豆豆腐とじゅんさい」。涼しげなカットグラスに、葛で寄せた青豆豆腐とじゅんさい両方のぬるりとした食感が楽しい。八寸は「ホタテの貝柱黄身焼き、うなぎの八幡巻」等。そして待ちかねていた「はも落とし」。舌にとろけんばかりの逸品はすっきりとした梅肉酢で。「もずく豆腐のお吸いもの」、炊き合わせに「うなぎ豆腐」等。焼きものは竹細工の籠に盛りつけられた「鮎の塩焼き」。丸々とした鮎は脂ののりも申し分なく独特のいい香りを愉しみながら、たで酢をつけて。次の「加茂なす田楽」にはまさに京の味といえる上品な甘さの味噌がたっぷりからんでいる。蒸しもの「蓮(はす)蒸し」は穴子、甘鯛、ゆりね、しいたけを蓮が優しくまとめ、吉野葛のゆるいあんが夏らしさを出している。食事に「あなご茶漬け」、そして「ゆずのシャーベット」をいただいた。 いつのまにやら酒もすすみ、東山はすっかり黒々と夜色に染まっている。鴨の対岸で花火を揚げていた若者たちも岸を代えたらしい。灯りの点った床だけが、したを流れるみそそぎ川の水路に浮かんでいるようだ。 (文/花月亜子)
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(※12,000円のコースの中の五品です。天然物を使用しているため、 天候による仕入れの都合で内容が一部変わる場合があります。) |
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