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南禅寺総門外松林の茶店にはじまる | ||||||||||||||||||||||
かつて東山の麓には松林が広がり、その裾野に草川や白川など数多くの小川が流れていた。元禄の中頃つまり今から三百年ほど前のこと、深い緑と清流に恵まれたこの地で、南禅寺境内の門番所のひとつが掛け茶屋を始めた。「瓢亭」と名のって料亭の暖簾を揚げたのは、さらに下って1837年のことだという。1864年に出された京の名所案内書『花洛名勝図絵』には、松林の中の南禅寺参道で、煮抜き玉子で知られる「瓢亭」と、湯豆腐を名物とする「丹後屋」が路地をはさんで店を構える様子が描かれており、当時から名を馳せていたのがわかる。 |
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数寄屋建築に足をふみいれる | ||||||||||||||||||||||
岡崎通りの南禅寺総門をくぐり東へしばらく行くと、左手に建仁寺垣がつづき、瓢亭のこけら葺きの主屋が見えてくる。道に面した土間にはわらじ、笠、水がめ、しょうぎ等が置かれていて、茶屋だったころの佇まいを残している。案内されて土間の左手から庭に入ると、茶席でいうところの供待腰掛(ともまちこしかけ)、そして細い苑路の畳石を踏みながら、茶庭の奥へと歩を進めていく。 瓢亭は一時に大人数を収容する大料亭ではない。茶室風の建物を配したいわゆる数寄屋(すきや)造りで、客用の棟は「探泉亭」「くずや」「新席」「広間」の五つのみ。いちばん広い「広間」でも二間合わせて十二畳。建物どうしも触れ合うほど近くに建つが、間には無鄰庵から流れてくる疎水の水や池が縫うように入り込み、各棟に入ると数寄屋独特の隔絶した独立空間になっているのがよくわかる。 |
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朝粥のおこり | ||||||||||||||||||||||
14代目当主の高橋英一さんの長男、義弘さんは大学卒業後3年間金沢の料亭で修行し、京都に戻って2年になる。老舗懐石料亭の次代を担う人物だ。その若さは老舗の重圧をも力に替え、父の技を研究し自分のなかに取り入れることに余念がない。料理の話をうかがうと目を輝かせて話してくれた。野菜についてはとくに思い入れが感じられる。春は筍、夏は賀茂なす、秋は聖護院かぶら、冬は海老芋等々、瓢亭では契約した農家から京の伝統野菜などを直接仕入れている。促成のものとは味も栄養もまったく違うとのことだ。また当主は実際に畑に行き、頃合いのいいものだけを仕入れる。だから「ささげ」「田中唐辛子」など量産していない良い京野菜がふんだんに供されるのだ。 懐石料理とともに、瓢亭の味として有名なのが夏の「朝粥(あさがゆ)」、冬の「うづら粥」である。朝粥について義弘さんはおもしろいエピソードをきかせてくれた。明治初期、祇園界隈で夜遊びした旦那衆が朝帰りに、円山公園、知恩院と歩いて来て、朝飯を食べさせろと店の雨戸をドンドン叩くので、粥を作って出したのが朝粥の始まりだとか。なんとも粋なことから始まったものだ。 さて、朝粥といってもそこは瓢亭。ふっくらと炊かれた白粥には醤油風味の葛あんをかける。瓢(ひさご)型で三段の重ね鉢はじめ、椀物、焼き物、そして名物・煮抜きの瓢亭玉子などがつく立派な献立である。懐石ではないが、歴史とこだわりの味を堪能できるメニューである。 |
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懐石料理をいただく | ||||||||||||||||||||||
今日の献立を紹介しよう。まずは膳に先付二品と向付がそれぞれガラスの器で配された。鱧、生うに、枝豆を透明な煮こごりでまとめた皿は、目にも涼やか。柊野ささげの黒ごま和は、山椒の風味がぴりりときいている。瓢亭の向付は、明石鯛と決まっている。これをへぎ造りでいただいた。 瓢亭には数寄の美があちこちにちりばめられている。つまり、さりげないのだが、実は豊かな創意工夫がなされている。しつらえに、生けられた茶花に、そして料理の隅々にまで、もてなしの心を味わい、茶庭に守られた特別な空間でゆったりとくつろげるのである。
(文/花月亜子) |
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